私は、世の中で人間が行う事象の多くは、カント倫理学の理屈で説明できると思っています。そのことは、人々が抱える悩みの多くに、カント倫理学の理論が有効に答えられることを含意しています。そのため、これまで私は、さまざまな機会を見つけては、悩みを抱えている人に対して私に相談してほしいと発言してきました。そして実際にこれまで、多くの人が相談を寄せてくれました。その都度私は、賢明に答えてきたつもりです。本書はその成果の一旦ということになります。
ただ、ここで決して誤ったイメージを持ってほしくないのは、私は悩みを抱えている人々が自分で考えなくても済むような「正解」「答え」を提示するわけではないということです。むしろ逆で、本書では、口酸っぱく自分の頭で考えるべきことを説いていきます。カントが提示し、また、私が紹介するのは、あくまで考える上での筋道に過ぎないのです。私に言わせれば、悩みの原因の多くは、むしろ考えることを怠っていることに起因しているのです。
とはいえ、もし私が、カント倫理学について紹介し、その枠内で考えることのみを求めるとしたら、結局は、その思考は、ある種の制限のもとにあることになるでしょう。不徹底のそしりは免れえません。そのため私は、そのような道をとりません。私は本書において、カント自身やカント研究者に対して批判的な視点も交えて考察を加えていきます。
そのため中盤以降は(初学者もついていける形で)専門的な話も展開していきます。そこでは他の倫理学者やカント研究者の実名と解釈を提示した上で、批判しています。本来、実り多いカント倫理学を、わざわざ浮世離れした形で描き出そうとする彼らの姿勢を私は看過することができないのです。
私に名指しで批判された方や、当人でなくとも同じ立場の人たちには、積極的に反論してほしいと思っています。本サイトの「ご意見・ご質問」に書き込んでください。やるなら大々的にやるべきであり、You Tubeなり、イベントなり、場はこちらで準備するつもりでいます。
別に自信があるからということでなく(自信はありますが、それが理由ではないという意味)、議論することが学問の発展につながり、また、すそ野を広げることにつながるだろうからです。逆に、すべての人の生き方に関わる学問である倫理学の担い手たちが、何を考え、互いにどんなやり取りをしているのか、一般の目にまったく触れないブラックボックスのままであってはならないという思いが私のなかにあるのです。
ここまで書いておいてあれなのですが、わざわざ手を上げる人が出てくる可能性は、あまり高くないと思っています。これまでも何度か同様の提案をしてきたのですが、その都度、無反応だったので、今回もあまり期待はしていません。こちらはそれはそれで、ひとつの態度(表明)として受け止めます。
