(NEW) カント講座のお知らせ

2024年8月3日(土)16時よりNHKカルチャーセンター青山教室において単発の対面講座を持ちます(オンラインでも参加可能+見逃し配信あり)。私が帰国し、面識のない方々と直接やり取りできる滅多にない機会なので、私自身楽しみにしています。是非ご参加ください。
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ショーペンハウアーの思想

ショーペンハウアーは(とりわけ晩年の)カントをクソミソに批判します。いったいどこが気に食わないのでしょうか。

カント倫理学

共苦感情の肯定的な役割について

カントは共苦感情からの行為に道徳的価値を見出すようなことはしません。しかし、彼はそこに何らの価値も見出していないということでもありません。では、そこにはどのような意義があるのでしょうか。私たちは何ができるのであり、何をすべきなのでしょうか。
カント倫理学

共苦感情について

ショーペンハウアーは、傷ついた人に寄り添い、その苦しみを共に分かち合うことが道徳的に正しいことであると主張します。ここに異を唱えるのは難しいように思えます。ところがカントはそこにケチをつけるのです。そこにはいかなる理由があるのでしょうか。
カント倫理学

カント倫理学の基礎部分の妥当性について

カント倫理学は堅固な基礎を有しているのでしょうか。カント倫理学以外の倫理学説はどうなのでしょうか。倫理に限らずに他の学問分野はどうなのでしょうか。
カント倫理学

動物を殺して食べるということ

カントもショーペンハウアーも動物に対してはかなり好意的ですが、動物を殺して食べることの倫理的許容可能性は否定していません。そこにはどのような背景や、発想があるのでしょうか。
カント倫理学

やはり倫理的に振舞うよう努めるべきなのでは?

同情心からの行為が倫理的善であると言うのであれば、同情心が湧いてくるような環境を自ら作り出そうと努力すべきなのではないでしょうか。それができない理由とは何なのでしょうか。私には理解ができません。
カント倫理学

感情、とりわけ、同情心や感謝について

カントは理性を欠いた、同情心や感謝といった感情のみに由来する行為には倫理的価値を認めません。しかし、カントはそういった感情の肯定的な役割を一切認めていないというわけではありません。その効用についても明確に語っているのです。
カント倫理学

ショーペンハウアーにとっての倫理的善、そして、倫理学という学問

 ショーペンハウアーは同情心からの行為に倫理的価値を見出します。しかし他方で、それは努力してできるものではないとも言うのです。だとすると、彼の理論、そして倫理学という学問そのものに、どのような意義を見出すことができるのでしょうか。 
カント倫理学

利他的に振舞うことなど本当にできるのか

ショーペンハウアーは自身の動機ですら知りえないのであり、善意志から行為したつもりであっても、それは所詮「つもり」に過ぎず、実際には利己的に振舞っていると主張するのです。
カント倫理学

自身の行為の動機について知りうるのか

私たちは自身の動機について知りうるのでしょうか。もし知りえないのであれば、本人は善意志から行為したつもりでも、実際には利己的に行為しているということが起こりうるのではないでしょうか。