このサイトでは、極力専門用語は使わないようにしていますが、どうしても最低限度は使わざるをえません。また、定訳ではなく、あえて別の平易な表現を用いる場合もあるので、私の用いている用語の意味を確認できる手段があった方がよいと思い、用語集を用意しました。
汝が、それが普遍的法則となることを欲するような行為原理に従ってのみ行為せよ。(カント『人倫の形而上学の基礎づけ』)
一般に言われる「定言命法」のことです。自らの行為原理が自身のみではなく、他の人びとも則った場合に、それが望ましい世界であるかどうか考えてみます。それが望ましいものであれば、その行為原理は道徳法則に合致するということであり、反対に、望ましくないのであれば、それは道徳法則に反するということになります。
目的の思考実験
君は君自身の人格、ならびに、あらゆる他人の人格における人間性を常に同時に目的として使用し、決して手段としてのみ使用しないようにせよ(カント『人倫の形而上学の基礎づけ』)
こちらも定言命法の一形態であり、一般的には(先ほどのものに続く)「第二定式(方式)」、「目的の定式(方式)」などとも呼ばれます。人格を単なる手段としてではなく、目的自体として尊重し、扱っているかどうかどうか吟味するための思考実験になります。人格を単なる手段として用いることは、倫理的に許容されえないことになります。
適法性と道徳性
行為の動機を無視した、行為と法則の単なる一致、不一致は、適法性(合法則性)と呼ばれる。しかしながら、そこにおいて法則に由来する義務の理念が同時に行為の動機であるような行為と法則との一致は、行為の道徳性(人倫性)と呼ばれる。(カント『人倫の形而上学』)
適法性とは、行為が道徳法則に合致していることを意味し、それ自体に道徳的価値はありません。適法性を備えた行為が、それが道徳法則に合致する行為であることを理由としてなされて(つまり、非利己的な善意志に発して)、はじめて道徳性(道徳的善)が認められるのです。
自律と他律
意志の自律がすべての道徳法則と、それらに適合する義務の唯一の原理である。これに反して、選択意志のすべての他律は拘束性の基礎とはまったくならないばかりか、むしろ拘束性と意志が持つ道徳性の原理に対立するのである。(カント『実践理性批判』)
自律とは、読んで字の如く、自分で自分を律することを意味します。ただし、カントの場合、行為主体の動機が善意志に発し、倫理的に正しい場合に限られます(つまり、一般的な意味より多少、外延が狭くなります)。反対に動機が利己的であれば、それは他律と見なされるのです。自律の「自」とは、すなわちカントにとって、理性的な主体のみを指すのです。