記事における私の姿勢について

理論と実践
世間には「理論と実践は別!」などと発言する人がいます。倫理学研究者のなかにもたくさんいます。しかし、彼らが学問上主張している内容と、彼らの実際の生き方がまったく結びついていない、または乖離しているというのは、やはりおかしいのではないでしょうか。
カントが活躍していた当時にも、そういった人たちは存在していたようです。そんな彼らに対してカントは小論文「理論と実践」において以下のように述べています。

無知な人が、自分で実践と思いなしているものについて、理論はもともと不必要であり、なくても済むなどと放言しているのは、まだ我慢できる。しかし、利口ぶった人が、理論とその価値とを(ただ頭脳を訓練する目的だけの)学課としては認めるが、しかし、いざ実践となると様子ががらりと変わるとか、あるいは学校を出て実社会に出ると、これまで空虚な理論や哲学者の夢に徒らに追随してきたことをしみじみ感じるとか、—―要するに、理論ではいかにももっともらしく聞こえるけれども、実践ではまったく当てはまらないなどと主張するに至っては、到底我慢できるものではない。(カント「理論と実践」)

激おこ
カント
カント

カントという人は、あまり感情を表に出すようなことはしないのですが、ここでは憤りの感情をむき出しにしています。

私はカントの思想に対して十全的に肯定するようなことはしませんが、この点(理論と実践の結びつきについての立場)に関しては100パーセント賛同します。

学問上の理論とは、より多くの事象について説明できる、適用できる理論の方がそうでない理論よりも優れているはずです。現実への適用に一切耐えられない倫理学説など、どのようにその妥当性を担保することができるのでしょうか。私には「現実への適用に一切耐えられないが、しかし、すばらしい倫理学説」などといった言明は、悪い冗談か、下手な言い訳にしか聞こえないのです。

私はカント倫理学、ならびに意志の倫理学について、現実に起こる様々な事象に対して妥当性のある説明を加えることのできる、そのため私たちにとって生きる上での糧を提供してくれる、実り多い倫理学説であると捉えています。

もっとも、カント倫理学研究者に限らず、倫理学という学問を研究している人たちは、論文内や学会内では「〇〇倫理学は実りある」「〇〇倫理学はすばらしい」というような発言するのです。しかし、そう言いながら、具体的にその理論をどのように自らの生き方に反映させているのか明らかにしない、一般の人々にその価値を伝えようとしないというのは筋が通らないと私は思うのです。

ある倫理学説の妥当性を示すもっとも効果的な方法が、その理論をどのように研究者自身が自らの生き方に反映させているのかについて、一般の人々にも分かる形で描き出すことだと私は考えています。そのような信念にもとづいて、私は本ブログを用意しました。自身の研究成果をどのように自らの生き方に反映させているのか定期的に記事にしていくつもりです。

本当に私の研究が人々に資するところがあるのかについては、みなさまの判断に委ねられることになります。批判を受けることは覚悟の上です。ご意見・ご感想、お待ちしています。

記事を読むにあたって

  • 引用に際しては(様々な)翻訳を参照しますが、意味をとりやすいようにしばしば意訳しています。
  • 引用内にある丸括弧内の内容は原文によるものであり、亀甲括弧内の内容は私が補足したものです。
記事一覧
ここをクリックすると、すべての記事が新着順に並んで出てきます。またはテーマで絞りたいのであれば、サイドバーにある「タグ」を、分野・理論別で絞りたいのであれば「カテゴリー」をクリックしてください。
秋元
秋元

サイドバー(PCだと右側、モバイルだと下の方)において、「タグ」で内容別、「カテゴリー」で理論別に記事が分類されているので、そこから興味のあるものを選んで記事を読むこともできます。



カントに学ぶ意志の倫理学
タイトルとURLをコピーしました