理性と感情

カントは理性のうちにのみ倫理的価値の存在を認めます。では、感情にはどのような役割が期待できるのでしょうか。

カント倫理学

そこに根拠はあるのか

テニスの世界ランキング一位のノバク・ジョコビッチが申請書の不備を理由に大会直前にオーストラリア政府から国外退去処分を受けました。しかし、彼に付きまとっている疑惑はそれだけではないのです。テストで陰性反応が出ているのに人と接触したり、その際にマスクをしなかったり、コロナウイルス感染拡大に関して気を使っている様子がまったく窺えないのです。そんな彼にどんな言い分があるのでしょうか。私なりに調べたのですが、正直よく分かりません。
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漫画の海賊版サイトについて

さまざまな事象について倫理的に、主にカント倫理学に照らして考察を加えるこのブログですが、今回は漫画の海賊版サイトについて取り上げてみたいと思います。直観的には正当化は難しいように感じられますが、どうやらそれを試みる人もいるようなのです。その言い分を聞いてみましょう。
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他人の態度に物申すべきとき

マスクをしていない人を注意したところ、暴力を振るわけ、下半身不随になってしまった人のニュースがありました。私が心配するのは、このようなニュースが流れることで、「ほら見ろ」「他人になんか関わらないほうがいいんだ」といった風潮が加速してしまうことです。そこにある問題点について考えてみたいと思います。
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反ワクチン派の人々への対処について

カントは万人に理性が備わっており、誰にでも考え、そして、まともな結論を導く力があるはずであると説きます。しかし、現実を見てみると、ワクチンの効用を絶対に認めようとしない人たちがいます。彼らを理性的なやり方で説得することなど本当にできるのでしょうか。
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続・殺人すら責任が問えないケースについて

利己的なことを考える間もなく体が勝手に動いた場合と、何をすべきか考え、かつ、意図的に利己的な打算なしに行為した場合のどちらの方が道徳的でしょうか。カントとシラーの立場を比較しながら考えてみたいと思います。
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殺人すら責任が問えないケースについて

カントは、意志の介在しない行為に、道徳的善も悪もないと説きます。どんな凶悪犯罪を犯してもそうなのでしょうか。反対に、何人助けてもそうなのでしょうか。改めて考えてみたいと思います。
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カント自身は自身の考えについてどれだけ理解していたのか

「分かる」と「分からない」の間に線引きなどできるのでしょうか。他人の考えのみならず、自分の考えですら、「分かる」と「分からない」の間には線引きなどできないのではないでしょうか。だとすれば、カント自身も、自らの哲学であり、倫理学に関して、実はよく分かっていないということがありうるのではないでしょうか。
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良心の役割

カントは良心の働きについて、内的な法廷における原告の役割を担うものとして説明します。しかし、同時に、裁判官の役割も担うと言うのです。原告と裁判官が同一人物というのは問題ないのでしょうか。またカントは、理性が原告と裁判官、感性が被告の役割を担うと言います。しかし、理性と感性の間に本当に線引きなどできるのでしょうか。これらの疑問に対峙しながら(カントの考える)良心の役割について明らかにしていきたいと思います。
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オリンピックのゴタゴタを見て、カントは何を言う

良心が誤りを犯すといったことがありうるのでしょうか。暴走するといったことがありうるのでしょうか。2021年東京オリンピック開催の是非を巡る議論に絡めて、カントの思想を頼りに、この問いに対峙してみたいと思います。
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共苦感情の肯定的な役割について

カントは共苦感情からの行為に道徳的価値を見出すようなことはしません。しかし、彼はそこに何らの価値も見出していないということでもありません。では、そこにはどのような意義があるのでしょうか。私たちは何ができるのであり、何をすべきなのでしょうか。
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