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卓越性の有無

卓越性の有無は倫理性にどのような影響を及ぼすのでしょうか。卓越性を磨くことは義務なのでしょうか。卓越性を備えていないことは倫理的落ち度となるのでしょうか。疑問はつきません。

カント倫理学

とんでもない行為を道徳法則と見なしてしまう可能性

道徳法則の導出に正解・不正解はない。本人が倫理的に正しいと確信するものが道徳法則なのである。もし、このような前提を受け入れるとなると、極端なことを言えば、人殺しすら道徳法則になりうることになるのではないでしょうか。
カント倫理学

続・卓越性の不足は倫理的落ち度なのか

仕事で成功し、人格者と見なされる人はたくさんいるものの、まったく仕事ができないのに人格者と見なされる人が皆無なのはなぜでしょうか。
カント倫理学

卓越性の不足は倫理的落ち度なのか

「卓越性がなければ、人を助けることはできない」という言明に対しては、確かにそうだと思います。「だから倫理的徳とは卓越性なのだ」と言う気持ちも分からないではありません。しかしながら、「卓越性の面で劣ることは、倫理的落ち度である」と言われると、承服しかねるものがあります。みなさんはどう思われますか?
カント倫理学

人の性格について

「勇敢」とはいかなることなのでしょうか?「優しさ」って何なんでしょうか?私にはまったく分かりません。仮にそのような性格のうちに倫理的徳が存するとすると、その徳の獲得のために私は何をしたらよいのでしょうか。やはりまったく分かりません。
カント倫理学

そう努めたからといって、必ずしも能力が伸びるとは限らない

自分が何をすべきか(つまり、当為を)自覚していても、できない(可能に結びつかない)ということもあるのではないでしょうか?例えば、自分の能力を伸ばそうとしても、実際には伸びないということがあるのではないでしょうか?
カント倫理学

どこまで人は能力を伸ばすべきなのか

卓越性とはあればあるだけよいものなのでしょうか?極端な論者を参照しながら、考えてみたいと思います。
カント倫理学

自身の幸福を確保するために有効なものとは?

カントは、間接義務の一例として、自身の幸福を確保することを挙げています。では、その自身の幸福の確保のために必要なもの、有効なものは何なのでしょうか。ここにアリストテレスの言うアレテー(卓説性)が関わってくるのではないでしょうか。
カント倫理学

道徳法則に従っているつもり・・・に過ぎない可能性について

道徳法則に従っているつもりが、実際にはそうでなかったということがありうるのでしょうか。ありうるとすれば、その場合の倫理性はいかに。
カント倫理学

良心が誤りを犯すことはありうるか

自身の道徳判断を後から後悔したような場合の道徳性はどうなるのでしょうか。損なわれることになるのでしょうか。
カント倫理学

道徳判断を誤る可能性について

行為者本人は自分の道徳判断について正しいと思っているものの、周りの人間はその判断を間違っていると思っているような場合、その正当性はどうなるのでしょうか。
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