卓越性の有無は倫理性にどのような影響を及ぼすのでしょうか。卓越性を磨くことは義務なのでしょうか。卓越性を備えていないことは倫理的落ち度となるのでしょうか。疑問はつきません。
ウィル・スミスの倫理性について
アカデミー賞の授賞式で、ウィル・スミスが妻の病気をネタにしたクリス・ロックを平手打ちするという出来事がありました。今回はそのような行為に及んだスミスの倫理性について考えてみたいと思います。
アリストテレスにおける卓越性と道徳的徳の関係性について
私は、アリストテレスについて、卓越性を道徳的善と見なす論者として解しています。だとすると大谷翔平選手のような卓越性を備えた人物は道徳的善をも備えていることになります。他方で、そのようなアリストテレス解釈は成り立たないという批判の声もあります。その批判の是非について検討してみたいと思います。
出生時の運の良し悪し
出生時の要因(生まれ持った能力や適性、生まれた家の裕福さ、自身の容姿や体格、健康や障害の有無、等々)が道徳性にもたらす影響について考えてみました。
マンガ『キャプテン』
『キャプテン』という野球マンガがあります。別に特別おもしろいというわけではないのですが、学ぶことの多い、いいマンガだと思います。
とんでもない行為を道徳法則と見なしてしまう可能性
道徳法則の導出に正解・不正解はない。本人が倫理的に正しいと確信するものが道徳法則なのである。もし、このような前提を受け入れるとなると、極端なことを言えば、人殺しすら道徳法則になりうることになるのではないでしょうか。
続・卓越性の不足は倫理的落ち度なのか
仕事で成功し、人格者と見なされる人はたくさんいるものの、まったく仕事ができないのに人格者と見なされる人が皆無なのはなぜでしょうか。
卓越性の不足は倫理的落ち度なのか
「卓越性がなければ、人を助けることはできない」という言明に対しては、確かにそうだと思います。「だから倫理的徳とは卓越性なのだ」と言う気持ちも分からないではありません。しかしながら、「卓越性の面で劣ることは、倫理的落ち度である」と言われると、承服しかねるものがあります。みなさんはどう思われますか?
人の性格について
「勇敢」とはいかなることなのでしょうか?「優しさ」って何なんでしょうか?私にはまったく分かりません。仮にそのような性格のうちに倫理的徳が存するとすると、その徳の獲得のために私は何をしたらよいのでしょうか。やはりまったく分かりません。
そう努めたからといって、必ずしも能力が伸びるとは限らない
自分が何をすべきか(つまり、当為を)自覚していても、できない(可能に結びつかない)ということもあるのではないでしょうか?例えば、自分の能力を伸ばそうとしても、実際には伸びないということがあるのではないでしょうか?
どこまで人は能力を伸ばすべきなのか
卓越性とはあればあるだけよいものなのでしょうか?極端な論者を参照しながら、考えてみたいと思います。