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徳倫理学 | カントに学ぶ意志の倫理学

徳倫理学

アリストテレスに起源を持つ徳倫理学とはいかなる理論であり、カント倫理学との関係は如何に。

カント倫理学

ウィルスに感染すること自体が倫理的悪なのか?

細心の注意を払っていたのにもかかわらず、新型コロナウィルスに感染してしまった人を私たちは非難することができるのでしょうか。非難する意味があるのでしょうか。
カント倫理学

今自分ができることとは

自分がすべきことを自覚しているものの、状況がそれを許さないという場合もあります。その際にカント倫理学は無力なのでしょうか。私は何もできないのでしょうか。
カント倫理学

とんでもない行為を道徳法則と見なしてしまう可能性

道徳法則の導出に正解・不正解はない。本人が倫理的に正しいと確信するものが道徳法則なのである。もし、このような前提を受け入れるとなると、極端なことを言えば、人殺しすら道徳法則になりうることになるのではないでしょうか。
カント倫理学

続・卓越性の不足は倫理的落ち度なのか

仕事で成功し、人格者と見なされる人はたくさんいるものの、まったく仕事ができないのに人格者と見なされる人が皆無なのはなぜでしょうか。
カント倫理学

卓越性の不足は倫理的落ち度なのか

「卓越性がなければ、人を助けることはできない」という言明に対しては、確かにそうだと思います。「だから倫理的徳とは卓越性なのだ」と言う気持ちも分からないではありません。しかしながら、「卓越性の面で劣ることは、倫理的落ち度である」と言われると、承服しかねるものがあります。みなさんはどう思われますか?
カント倫理学

日本人の倫理観は低いのでしょうか

日本人は他人に対して無関心であり、困っている人がいても、あまり手を差し伸べようとしない傾向にあります。そのことは日本人の倫理観が低いことを意味するのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。考えてみたいと思います。
カント倫理学

人の性格について

「勇敢」とはいかなることなのでしょうか?「優しさ」って何なんでしょうか?私にはまったく分かりません。仮にそのような性格のうちに倫理的徳が存するとすると、その徳の獲得のために私は何をしたらよいのでしょうか。やはりまったく分かりません。
カント倫理学

そう努めたからといって、必ずしも能力が伸びるとは限らない

自分が何をすべきか(つまり、当為を)自覚していても、できない(可能に結びつかない)ということもあるのではないでしょうか?例えば、自分の能力を伸ばそうとしても、実際には伸びないということがあるのではないでしょうか?
カント倫理学

自身の幸福を確保するために有効なものとは?

カントは、間接義務の一例として、自身の幸福を確保することを挙げています。では、その自身の幸福の確保のために必要なもの、有効なものは何なのでしょうか。ここにアリストテレスの言うアレテー(卓説性)が関わってくるのではないでしょうか。
カント倫理学

「よい」という表現に引きずられて、誤謬を犯さないために

一言で「よい」といっても、そこには様々な概念が内包されています。それらを混同しないよう注意する必要があります。
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