オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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過程と結果

過程の良し悪し(または善し悪し)と、結果の良し悪しは、必ずしも一致しません。結果によって、過程の価値を決めつけるようなことは慎むべきでしょう。

カント倫理学

判断の正しさとは

佐々木朗希投手が完全試合をしました。それを受けて、高校時代の監督が佐々木投手のケガの回避にために、甲子園目前で登板を回避した判断を評価する声が上がっています。完全試合をするとケガを回避しようとしたことが正当化されるんですか?活躍しなければ正当化されないんですか?私には完全試合とケガを回避しようとすることはまったく関係のないことだと思うのですが・・・
カント倫理学

はたして結果至上主義と教育は両立するのでしょうか

1992年、星稜高校の松井秀喜選手が五打席連続で敬遠されるという出来事がありました。そして、そのことが社会的な議論を巻き起こしました。はたしてこのような結果至上主義の作戦と教育は両立するのでしょうか。敬遠の指示を出した馬淵監督の言明を頼りに考えてみたいと思います。
カント倫理学

思考過程の正しさについて

思考過程の正しさは、そこからもたらされた結果によって判定されるべきではなく、思考内容自体によって良し悪しが判断されるべきなのです。しかし、現実にはそうなっていません。オリンピックスポーツ、とりわけ野球を例にして、その問題点を明らかにしたいと思います。
カント倫理学

出生時の運の良し悪し

出生時の要因(生まれ持った能力や適性、生まれた家の裕福さ、自身の容姿や体格、健康や障害の有無、等々)が道徳性にもたらす影響について考えてみました。
カント倫理学

続『ドラえもん』の話

のび太は何をやってもうまくいきません。それは彼の倫理的な落ち度なのでしょうか?
カント倫理学

カントと野村克也

先日亡くなられた野村克也という人物が、なぜこれほど世間の人々から愛され、評価されたのかについて考えてみました。 あぁ、もちろんカントと絡めてですよ。「カントとヒューム」「カントとルソー」「カントとヘーゲル」などではなく、「カントと野村克也」ですよ。この離れ業を楽しんでください。
カント倫理学

ただ投げる、ただ蹴る、ではダメでしょ

お勉強ばかりやってきたような「ガリ勉」タイプの人から、体を動かすことを資本とする人たちを見下すような発言を耳にすることがあります。私の学生時代、ある先生は「あいつらは脳が筋肉でできているから」というようなことをよく言っていました。本当に何も分かっていないのか、それとも、よほど劣等感があるのか、どちらかだと私は思っています。
カント倫理学

考慮と帰結の関係―スポーツ編

解解説者と言われる人が、采配が裏目に出た時点で「采配ミス」と断ずることがあります。でも、それって結果が分かった後で、後から結果論で批判しているのではないでしょうか。采配を下した監督の言い分の聞かずに、「采配ミス」のレッテルを貼ることなど本当にできるのでしょうか?
カント倫理学

カント倫理学とミル型功利主義の共通点について

功利主義を過程功利主義と解すると、カント倫理学との近似性が見えてきます。これを「トンデモ解釈」と受け取るか、「ありかも」と思うか、真っ二つに分かれるかもしれません。
カント倫理学

功利主義者本人に聞く

少なくとも古典的な功利主義者であるベンサムやミルは、「多くの幸福を生み出す行為が倫理的に正しい」とは言っていません。そういった「傾向」を持つ行為が倫理的に正しいと言っています。彼らが言う「傾向」とは何なのでしょうか?