悪とは

悪にも様々な悪があります。倫理的悪、結果の悪(さ)、技術的悪(至らなさ)などなど。それぞれの悪性は別個に評価されるべきものです。とはいえ、それらの悪に関係性はないのでしょうか。あるとすればどのような関係性が認められるのでしょうか。

カント倫理学

そこに根拠はあるのか

テニスの世界ランキング一位のノバク・ジョコビッチが申請書の不備を理由に大会直前にオーストラリア政府から国外退去処分を受けました。しかし、彼に付きまとっている疑惑はそれだけではないのです。テストで陰性反応が出ているのに人と接触したり、その際にマスクをしなかったり、コロナウイルス感染拡大に関して気を使っている様子がまったく窺えないのです。そんな彼にどんな言い分があるのでしょうか。私なりに調べたのですが、正直よく分かりません。
カント倫理学

漫画の海賊版サイトについて

さまざまな事象について倫理的に、主にカント倫理学に照らして考察を加えるこのブログですが、今回は漫画の海賊版サイトについて取り上げてみたいと思います。直観的には正当化は難しいように感じられますが、どうやらそれを試みる人もいるようなのです。その言い分を聞いてみましょう。
カント倫理学

無実の人を犯人に仕立て上げてしまう心理とは

人は懲罰感情というものを抱きます。被害者に共感した際に加害者を罰したいと思うのです。それ自体は自然な感情なのかもしれません。しかし、それが度を過ぎると、そして、本当に行動に移してしまうと、自分が加害者の側に回ってしまうのです。
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倫理学とは「〇〇しろ」「〇〇するな」の羅列ではない

アリストテレス的な「勇敢たれ」といったお題目に意味はないと考える人々は、何をすべきであり、何をすべきでないのかについて、もっと具体的な行為を列挙すべきことを説きます。しかし、それとてやはり抽象的過ぎると私は思うのです。よく見られるカント解釈をもとにその問題点について明らかにしていきたいと思います。
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はたして結果至上主義と教育は両立するのでしょうか

1992年、星稜高校の松井秀喜選手が五打席連続で敬遠されるという出来事がありました。そして、そのことが社会的な議論を巻き起こしました。はたしてこのような結果至上主義の作戦と教育は両立するのでしょうか。敬遠の指示を出した馬淵監督の言明を頼りに考えてみたいと思います。
カント倫理学

思考過程の正しさについて

思考過程の正しさは、そこからもたらされた結果によって判定されるべきではなく、思考内容自体によって良し悪しが判断されるべきなのです。しかし、現実にはそうなっていません。オリンピックスポーツ、とりわけ野球を例にして、その問題点を明らかにしたいと思います。
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カントにおける卓越性と道徳的徳の関係性について

世の中には「よい」と言われるものがさまざまあります。イマヌエル・カントは具体的にどのようなよいものがあるのかについて列挙して、説明しています。前回の記事で取り上げたアリストテレスと絡めて「よい」とは何なのかについて考えてみたいと思います。
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続・殺人すら責任が問えないケースについて

利己的なことを考える間もなく体が勝手に動いた場合と、何をすべきか考え、かつ、意図的に利己的な打算なしに行為した場合のどちらの方が道徳的でしょうか。カントとシラーの立場を比較しながら考えてみたいと思います。
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殺人すら責任が問えないケースについて

カントは、意志の介在しない行為に、道徳的善も悪もないと説きます。どんな凶悪犯罪を犯してもそうなのでしょうか。反対に、何人助けてもそうなのでしょうか。改めて考えてみたいと思います。
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自由(意思)と責任について

いわゆる「慰安婦」と呼ばれる人たちは、自由意思からそうなった「売春婦」なのでしょうか。それとも、無理やりそうさせられた「性奴隷」なのでしょうか。自由意思とは何かということを中心に考えてみたいと思います。
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