望ましい社会とは

社会のあるべき姿とはどのようなものなのでしょうか。社会と倫理の関係はいかなるものなのでしょうか。

カント倫理学

ワクチンに対するカントの立場

二百年以上前のカントの晩年には、すでにワクチンというものが存在していました。天然痘に対するワクチンです。それについてカントが言及している箇所もあるのですが、それはどんなものなのでしょうか。はたしてそれは今日私たちが直面するコロナワクチンに対する議論の参考になるのでしょうか。
カント倫理学

無実の人を犯人に仕立て上げてしまう心理とは

人は懲罰感情というものを抱きます。被害者に共感した際に加害者を罰したいと思うのです。それ自体は自然な感情なのかもしれません。しかし、それが度を過ぎると、そして、本当に行動に移してしまうと、自分が加害者の側に回ってしまうのです。
カント倫理学

オリンピックのゴタゴタを見て、カントは何を言う

良心が誤りを犯すといったことがありうるのでしょうか。暴走するといったことがありうるのでしょうか。2021年東京オリンピック開催の是非を巡る議論に絡めて、カントの思想を頼りに、この問いに対峙してみたいと思います。
カント倫理学

視野が狭くなってしまわないように

人間とはずっと狭い世界に身を置いていると、視野も狭くなってきてしまいます。それが世間の常識から乖離した言動に結びつき、批判を浴びるということがあります。そういったことを避けるためにはどうしたらよいのでしょうか。
カント倫理学

審判の説明義務について

なぜブンデスリーガの審判は自分の裁いた試合の判定の根拠について口にしないのでしょうか。メディアは話を聞こうとするはずであり、出てこないということは、上(ドイツサッカー協会か審判組織?)が止めているのか、もしくは、本人が避けているのだと思います。しかし、そんなことをすることにどんなメリットがあるのでしょうか。私は負の側面の方が大きいと思っています。
カント倫理学

続・コロナウイルスとの向き合い方について

世の中には、コロナウイルスの存在を認めようとしない人、そのため、まったく対策をとろうとしない人たちがいます。どうして彼らはそう考えるに至ったのでしょうか。カントの言葉を頼りに人間の内面について分析してみたいと思います。
カント倫理学

差別はその意図がなくても成り立つ

差別問題の難しいところは、本人のその意図がなくとも、差別が成立してしまう点にあると言えます。複数の相手が「差別」と受け取ってしまうような言動は(発信者の意図に関係なく)差別なのです。では、そのような不幸を避けるためには、どうしたよいのでしょうか。カントと一緒に考えてみたいと思います。
カント倫理学

なぜ同じ過ちが繰り返されるのか

なぜ差別は止まないのでしょうか。「自分が優越感に浸りたいとか」とか「他人を見下したい」という感情から行為しているのであれば、(賛同はできませんが、理屈の上では)まだ理解できます。しかし、社会的制裁を受けることが分かっていて、それでも行為に及ぶというのはどういうことなのでしょうか。
カント倫理学

ドイツで見られる差別について

ドイツにも、もちろん差別はあります。多いのはトルコ系やアラブ系の人たちに対する差別です。ではなぜそのような差別が生まれるのでしょうか。どのような対策が考えられるのでしょうか。
カント倫理学

カントと人種差別

カントの時代には人種差別が悪いことであるという意識は希薄でした。カント自身にもほとんどありませんでした。そんなカントの思想から、人種差別に関して、今の私たちが学ぶことなどあるのでしょうか。
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