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考える力を伸ばす | カントに学ぶ意志の倫理学

考える力を伸ばす

私たちはどれだけ本当・・に自分の頭で考え、決断を下し、行動しているのでしょうか。実際には(自分が思っている以上に)周りに流されたり、不思慮に振舞ったりしているのではないでしょうか。その問題点、そして、そこから抜け出る筋道についてカントを頼りに考えて・・・いきたいと思っています。

カント倫理学

なぜ同じ過ちが繰り返されるのか

なぜ差別は止まないのでしょうか。「自分が優越感に浸りたいとか」とか「他人を見下したい」という感情から行為しているのであれば、(賛同はできませんが、理屈の上では)まだ理解できます。しかし、社会的制裁を受けることが分かっていて、それでも行為に及ぶというのはどういうことなのでしょうか。
カント倫理学

「カントが言っているから」でいいのか

カントが「〇〇することは倫理的義務である」と言ったら本当にそれは義務なのでしょうか。反対に、彼が「〇〇することは義務に反する」と言ったら、本当にそれは義務に反するのでしょうか。もしそうだとしたら、私たちは考える必要などなく、カントに盲目的に従っていればいいことになります。本当にそれでいいのでしょうか。
カント倫理学

カントと野村克也

先日亡くなられた野村克也という人物が、なぜこれほど世間の人々から愛され、評価されたのかについて考えてみました。 あぁ、もちろんカントと絡めてですよ。この離れ業を楽しんでください。
カント倫理学

ただ投げる、ただ蹴る、ではダメでしょ

お勉強ばかりやってきたような「ガリ勉」タイプの人から、体を動かすことを資本とする人たちを見下すような発言を耳にすることがあります。私の学生時代、ある先生は「あいつらは脳が筋肉でできているから」というようなことをよく言っていました。本当に何も分かっていないのか、それとも、よほど劣等感があるのか、どちらかだと私は思っています。
カント倫理学

カント倫理学を体現できる場

世の中は結果や成果ばかりが求められる風潮にあります。しかし、それ一辺倒では息苦しくなってしまいます。子供たちが過ごす教育現場くらいは結果や成果ばかりを求める場にしなくてもよいのではないでしょうか。
カント倫理学

道徳法則に従っているつもり・・・に過ぎない可能性について

道徳法則に従っているつもりが、実際にはそうでなかったということがありうるのでしょうか。ありうるとすれば、その場合の倫理性はいかに。
カント倫理学

続・啓蒙とは何か?

カントにとって啓蒙とは、知識に関わるのではなく、考えることに関わるのです。そして、自分で考えることというのは例外なく誰にでもできることなのです。
カント倫理学

啓蒙とは何か?

普段、私たちは自分で考え、行動しているように思っているかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。周りに流されたり、自分の感情に流されたりしていないと(どれだけ)言えるでしょうか。
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教育における「障害」とは

大人が子供に自分の願望や価値観を押し付けることは、結局のところ誰のためにもならない。
カント倫理学

続・教育現場の抱えるジレンマ

教育という、他人(親や教師)による外的強制のなかで、どのようにして自律という自分で自分を律するための(内的強制の)力を養うことができるのでしょうか。
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