書き手(学者)が、倫理学の一般向けの本で、倫理学のおもしろさを強調することは少なくありません。しかし、私は自著のなかで「おもしろさ」を前面に押し出すようなことはしません。
なぜなら、「おもしろさ」というのは主観的でしかないからです。そのため、本人は「おもしろいでしょ」と、うれしそうに語るものの、周りはしらけて空回りしているということが起こるのです(私自身が倫理学系の本を読んでいて「別に、そこ面白いと思わないんだけど…」となることがあります)。「おもしろさ」というのは理屈で説明して伝わるようなものではありません。私は主観に訴えるようなことはしません。
そもそも倫理学の目的とは何なのかという話です。「おもしろさ」を追求することなどではないはずです。(そんなことは現実にはないでしょうが)仮に倫理学がおもしろいものであることが広がったとして、だから何なのだ(so what?)と私などは思うわけです。倫理学はマンガや小説ではないのです。
私自身の、そして、本書の目的は、人々が善い生き方ができるために寄与することです。そのためには人々が納得できるような根拠を下地として、理論立っていなかればならないのです。つまり上記の目的を達するためには、客観に訴えなければならないのです。倫理学とは学問なのですから、当然のことであるはずなのですが、そうなっていないところに倫理学の迷走の理由があるのだと私は思っています。
おもしろくないよりは、おもしろい方がいいですが、私はその程度にしか捉えていません。それより、(とりわけ生きることに困難を抱えている人にとって)現実にその人の生き方に変化が生じることを企図しています。