Web Analytics

利他的行為とは

とりわけ「利他」という用語は恣意的に使用されている感があります。倫理学という学問にとって重要な概念であるだけに、それぞれの論者が一貫した定義のもとで使用すべきなのではないでしょうか。

カント倫理学

他者の内面は知りえない

言わなければばれないのに自分から弁償を申し出るというのはどのような動機からそうしているのでしょうか。いや、もちろんすばらしい行為ですよ。ただ、そのすばらしさというのはいかなる意味でのすばらしさなのでしょうか。
カント倫理学

自転車泥棒に間違えられた話

私は先日、自転車泥棒と間違われました。なぜそんなことになってしまったのでしょうか。私はどうするべきだったのでしょうか。相手はどうするべきだったのでしょうか。いろいろと考えてみました。
カント倫理学

あなたはそれでも英語を使いますか?

私はドイツで相手にドイツ語で話しかけているのに、相手が英語で返してくるということがあります。日本語を勉強しているドイツ人の多くも似たように、日本で日本語を使っているのに、英語で返されることがあると言うのです。なぜ、そんなことになるのでしょうか。
カント倫理学

日本人の倫理観は低いのでしょうか

日本人は他人に対して無関心であり、困っている人がいても、あまり手を差し伸べようとしない傾向にあります。そのことは日本人の倫理観が低いことを意味するのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。考えてみたいと思います。
カント倫理学

私たちは倫理的義務を常に履行し続けなければならないのでしょうか?

もし私たちが常に倫理的義務を履行するよう努めなければならないとすると、自身の幸福を追求することを許す余地がなくなってしまうことになるのではないでしょうか?もしそうだとすると、それはあまりに禁欲的で、厳格なのではないでしょうか?
カント倫理学

カント倫理学を実践すると幸福になれないのか

カントは非利己的な善意志から行為することを要求します。そのことは自身の幸福を犠牲にすべきことを意味するのでしょうか。だとすれば、カントは反幸福主義者と言われ(揶揄され)ても仕方ないことになるかと思いますが、実際のところどうなのでしょう。
カント倫理学

「利他」という言葉の使い方おかしくないですか?

「利他」という用語は「他人のためになされた(自分のためではない)」という意味で使われる場合と「実際に他人に資する」という意味で使われる場合があります。このような一貫性のない使用法のもとでは、やり取りは噛み合いません。そこで私は提言したいと思います。
カント倫理学

カントの反論

カントは「自分の行為の動機ですら知りえない、そのため利他的に振舞ったつもりでも、実際には利己心が潜んでいるのである」という批判にどう反論するのでしょうか。
カント倫理学

利他的に振舞うことなど本当にできるのか

ショーペンハウアーは自身の動機ですら知りえないのであり、善意志から行為したつもりであっても、それは所詮「つもり」に過ぎず、実際には利己的に振舞っていると主張するのです。
カント倫理学

自身の行為の動機について知りうるのか

私たちは自身の動機について知りうるのでしょうか。もし知りえないのであれば、本人は善意志から行為したつもりでも、実際には利己的に行為しているということが起こりうるのではないでしょうか。
タイトルとURLをコピーしました