オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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悪とは

カント倫理学

動物を殺して食べるということ

カントもショーペンハウアーも動物に対してはかなり好意的ですが、動物を殺して食べることの倫理的許容可能性は否定していません。そこにはどのような背景や、発想があるのでしょうか。
カント倫理学

続・啓蒙とは何か?

カントが啓蒙の標語に掲げるsapere audeですが、日本語では「あえて賢かれ」「知る勇気を持て」などと訳されます。しかし、本当にそれでカントの意図はくみ取れるのでしょうか。どうして賢くならなければならないのでしょうか?どうして知らなければならない、そもそも何について知らなければならないのでしょうか?謎です。
カント倫理学

倫理に討議(話し合い)は必要か?

カント倫理学は他者との討議が欠けているという批判があります。では討議を導入すれば問題が解決するのでしょうか。
カント倫理学

アイヒマンの悪性について

それが倫理的な問題であるということに気がつかずに、無実の人々を収容所送りにする作業に加担するとったことが本当にありうるのでしょうか。当事者であるアイヒマンの証言をもとに考えてみたいと思います。
カント倫理学

不思慮の罪

カントの言うように、倫理的悪とは理性に発する意志のうちにのみ存するのでしょうか。もしくは、アーレントが主張するように、理性が介在しない単なる不思慮のうちにも認められるのでしょうか。アイヒマンの生き方に照らし合わせて考えてみたいと思います。
カント倫理学

続・続・悪とは何か?

怒りの原因は何なのか、どこに悪を見出したのか、明確にする必要があるのではないでしょうか。
カント倫理学

続・悪とは何か?

もし行為が自らの欲求や欲望に起因している場合に、つまり、動機が利己的である場合に、その行為が直ちに道徳的に悪であるとすると、私たちの行為の大部分は悪であることになるのではないでしょうか。実際にカントの言葉をそのように受け取り、その禁欲性・厳格性を批判した人がいました。この種の批判に対して、私たちはどう対処すればよいのでしょうか。
カント倫理学

悪とは何か?

「悪」という言葉を知らない人はいないはずです。しかしながらその意味について聞かれたときに即答できる人がどれだけいるでしょうか。カントの言葉を頼りに、この問いに対峙してみたいと思います。