オンライン講座のお知らせ

NHKカルチャーセンターにおいて、またまた「カントの教育学」の講座を担当します。これで三回目です。「また教育学?」と思われるかもしれませんが、それだけ私(たち)がそこに意義を見出しているということです。これまで私の講座を受けたことがない人、本を読んだことがない人でも、大歓迎です。受講者が事前知識ゼロであることを前提に話します。

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カント倫理学

カント倫理学

良心が誤りを犯すことはありうるか

自身の道徳判断を後から後悔したような場合の道徳性はどうなるのでしょうか。損なわれることになるのでしょうか。
カント倫理学

道徳判断を誤る可能性について

行為者本人は自分の道徳判断について正しいと思っているものの、周りの人間はその判断を間違っていると思っているような場合、その正当性はどうなるのでしょうか。
カント倫理学

倫理に討議(話し合い)は必要か?

カント倫理学は他者との討議が欠けているという批判があります。では討議を導入すれば問題が解決するのでしょうか。
カント倫理学

アイヒマンの悪性について

それが倫理的な問題であるということに気がつかずに、無実の人々を収容所送りにする作業に加担するとったことが本当にありうるのでしょうか。当事者であるアイヒマンの証言をもとに考えてみたいと思います。
カント倫理学

不思慮の罪

カントの言うように、倫理的悪とは理性に発する意志のうちにのみ存するのでしょうか。もしくは、アーレントが主張するように、理性が介在しない単なる不思慮のうちにも認められるのでしょうか。アイヒマンの生き方に照らし合わせて考えてみたいと思います。
カント倫理学

カントは私たちに本当に生きる上での指針を与えてくれるのか

上から自分の倫理観と齟齬をきたすような命令や指示を受けた場合に、私たちはどのようにすればよいのでしょうか。そもそも、そういった状況に陥らないようにするにはどうすればよいのでしょうか。カントの言葉を頼りに考えてみたいと思います。
カント倫理学

続・続・悪とは何か?

怒りの原因は何なのか、どこに悪を見出したのか、明確にする必要があるのではないでしょうか。
カント倫理学

続・悪とは何か?

もし行為が自らの欲求や欲望に起因している場合に、つまり、動機が利己的である場合に、その行為が直ちに道徳的に悪であるとすると、私たちの行為の大部分は悪であることになるのではないでしょうか。実際にカントの言葉をそのように受け取り、その禁欲性・厳格性を批判した人がいました。この種の批判に対して、私たちはどう対処すればよいのでしょうか。
カント倫理学

悪とは何か?

「悪」という言葉を知らない人はいないはずです。しかしながらその意味について聞かれたときに即答できる人がどれだけいるでしょうか。カントの言葉を頼りに、この問いに対峙してみたいと思います。
カント倫理学

「よい」という表現に引きずられて、誤謬を犯さないために

一言で「よい」といっても、そこには様々な概念が内包されています。それらを混同しないよう注意する必要があります。