アリストテレスに起源を持つ徳倫理学とはいかなる理論であり、カント倫理学との関係は如何に。

『その悩み、カントだったら、こう言うね。』
本では世間の人が抱えるであろう悩みに答えていくことで、カント倫理学が私たちの生きる指針たりうるかということを示していきます。とはいえ、カント倫理学には不十分なところがあることも事実です。その点は後世を生きる私たちが手を加えていかなければなりません。本書では、そこまで踏み込んでいます。

ウィル・スミスの倫理性について
アカデミー賞の授賞式で、ウィル・スミスが妻の病気をネタにしたクリス・ロックを平手打ちするという出来事がありました。今回はそのような行為に及んだスミスの倫理性について考えてみたいと思います。

「勇気を持て」という言明に意味はあるのでしょうか?
アリストテレスは「勇気」を徳目のひとつと見なします。しかし、人は何を持って、そこに「勇気」を見出すのでしょうか。というのも挑戦することが「勇気」と言われる場合もあれば、反対に、引き下がることを「勇気」と表現することもあるためです。つまり、いかようにも解釈できてしまうためです。はたして「勇気を持て」と言うことにどれだけの意味があるのでしょうか。

カントにおける卓越性と道徳的徳の関係性について
世の中には「よい」と言われるものがさまざまあります。イマヌエル・カントは具体的にどのようなよいものがあるのかについて列挙して、説明しています。前回の記事で取り上げたアリストテレスと絡めて「よい」とは何なのかについて考えてみたいと思います。

アリストテレスにおける卓越性と道徳的徳の関係性について
私は、アリストテレスについて、卓越性を道徳的善と見なす論者として解しています。だとすると大谷翔平選手のような卓越性を備えた人物は道徳的善をも備えていることになります。他方で、そのようなアリストテレス解釈は成り立たないという批判の声もあります。その批判の是非について検討してみたいと思います。

出生時の運の良し悪し
出生時の要因(生まれ持った能力や適性、生まれた家の裕福さ、自身の容姿や体格、健康や障害の有無、等々)が道徳性にもたらす影響について考えてみました。

ウィルスに感染すること自体が倫理的悪なのか?
細心の注意を払っていたのにもかかわらず、新型コロナウィルスに感染してしまった人を私たちは非難することができるのでしょうか。非難する意味があるのでしょうか。

今自分ができることとは
自分がすべきことを自覚しているものの、状況がそれを許さないという場合もあります。その際にカント倫理学は無力なのでしょうか。私は何もできないのでしょうか。

とんでもない行為を道徳法則と見なしてしまう可能性
道徳法則の導出に正解・不正解はない。本人が倫理的に正しいと確信するものが道徳法則なのである。もし、このような前提を受け入れるとなると、極端なことを言えば、人殺しすら道徳法則になりうることになるのではないでしょうか。

続・卓越性の不足は倫理的落ち度なのか
仕事で成功し、人格者と見なされる人はたくさんいるものの、まったく仕事ができないのに人格者と見なされる人が皆無なのはなぜでしょうか。