学問とは何なのでしょうか。哲学とは何なのでしょうか。倫理学とは何なのでしょうか。人によって答えは異なるはずです。ここではカントの言葉を頼りに考えてみたいと思います。

『その悩み、カントだったら、こう言うね。』
本では世間の人が抱えるであろう悩みに答えていくことで、カント倫理学が私たちの生きる指針たりうるかということを示していきます。とはいえ、カント倫理学には不十分なところがあることも事実です。その点は後世を生きる私たちが手を加えていかなければなりません。本書では、そこまで踏み込んでいます。

『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』
とにかくひとりでも多くの人にカント倫理学について知ってほしいと思い、ミーハーな企画に乗って、書いてみました。本当に売れるのかどうか、自分ではまったく分かりません。

哲学を学ぶとは? 哲学することを学ぶとは?
「どうしてもカントを理解したい」という発言を耳にすることがあります。でもなぜその人はそんなにカントを理解したいのでしょうか。単なる知識欲でしょうか。自分が理解できないことが悔しいのでしょうか。どちらにしろ自分のなかに閉じた問題意識ですよね?カントが聞いたら何を言うだろうか、考えてみてほしいと思います。

続・続・大学で哲学をする意味とは
学問的スキルとは、学問の世界のみならず、一般世界でも必要となるのですが、今のコロナ禍においては、その重要性がより一層増していると言えます。なぜそう言えるのか、本論において明らかにしていきたいと思います。

続・大学で哲学をする意味とは?
哲学をするにしても、大学の学部レベルでは、先哲の教えを理解することで十分(自分の主体的な意見をそこに反映させるのは大学院に行ってからでいい)という意見があります。しかし、そこでなされる営みというのは、そもそも本当に「学問」と言えるのでしょうか。

大学で哲学をする意味とは?
同僚が「学部生のレベルでは自分の主体的な意見を求める必要はない」「それは過大な要求」と述べていました。本当にそうなのでしょうか。先哲の教えを首尾よくまとめることができるようになれば、それでいいのでしょうか?

カント倫理学の基礎部分の妥当性について
カント倫理学は堅固な基礎を有しているのでしょうか。カント倫理学以外の倫理学説はどうなのでしょうか。倫理に限らずに他の学問分野はどうなのでしょうか。