カント倫理学を実践すると幸福になれないのか

なぜ日本は近代化に成功したのかカント倫理学

以下はある中国人の知人との実際にあったやりとりです。

中国人の知人
中国人の知人

ヤスタカ、日本がどうして近代化に成功して独立を保ち、中国が反対に植民地と化したか分かるか?

秋元
秋元

日本は西欧の科学技術をいち早く取り入れたからだろ。

中国人の知人
中国人の知人

まあ、それもあるけれど、もっと重要なことがある。多くの日本人が国のために動いた。だから植民地化を免れることができた。他方、中国人はみんな自分のことだけしか考えていなかった。だから植民地と化したんだアル。

これは一般論ですが、もし人々が自分のことだけしか考えずに振舞えば、その人々が属する組織はうまく機能せず、組織がうまく機能しなければ、その組織の属する人々が幸せに暮らすことも難しいのではないでしょうか。

同じことを別用に言うと、多くの人が倫理的に振舞うような社会は住みやすく、結果的に・・・・その社会の構成員は幸福になる可能性が高まるのではないでしょうか。

カントは反幸福主義の論者として批判的に語られることが多いのですが、私に言わせれば逆です。確かにカントは、自身の幸福を意図して行為することは戒めます。しかし、そのことはその者が不幸になることを意味しないのです。むしろ、人は刹那的な欲求を抑えることによって、その者は幸福になる可能性が高まるのではないでしょうか。

カントは倫理学という学問について以下のように表現しています。

それゆえ道徳論は本来、如何にして私たち自身が幸福にならしめるかの説教ではなく、如何にして私たちが幸福に値するようになるべきかの説教なのである。(カント『実践理性批判』)

これは多少逆説的ですが、自分の幸福ばかり追い求めているような人間は幸福に与ることが難しく、反対に、自分の幸福に拘らずに振舞える人間の方が結果的に(意図しない)幸福を感じることが容易となるのではないでしょうか。

冒頭の、近代日本のために奔走した人々の話に翻って、今の日本はどうなのでしょうか。昔に比べると、義務意識は希薄になり、それと反比例するように、権利が主張されるようになり、自身の幸福を最優先にするのが当然であるかのような風潮になっています。人々が自分の幸福の追求を前面に押し出すようになって、その結果、私たちは実際に幸福になっているのでしょうか。私にはそうは思えないのです。

日本の高い精神疾患率や自殺率について真摯に受け止め、私たちはその原因について考えるべきなのではないでしょうか(その原因として経済的理由を挙げる人がいるでしょうが、そこで問うのをやめてしまうのではなく、「その経済の停滞の原因は?」と、さらに(そして、できる限り)深い部分まで掘り下げて考えるべきだと思うのです)。

とりわけ今のような時代の曲がり角だからこそ、私たちは偉大な先人から学ぶことがあるのではないでしょうか。

秋元
秋元

そういえば、呂布、孟建、魏延といった三国志に出てくる裏切り者(不道徳な生き方をした可能性の高い人)たちも、みんなろくな死に方していませんね。結局、反感を買うからだと思います。それはそれで反面教師として学ぶことがあると言えるのではないでしょうか。

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