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どこまで人は卓越性を磨くべきなのか | カントに学ぶ意志の倫理学

どこまで人は能力を伸ばすべきなのか

スーパーマンカント倫理学

前回の記事ではカントが、私たちには自身の能力を磨くべき義務があると考えていることについて紹介しました。

ただ注意してほしいのですが、彼が念頭に置いているのは、義務となるのは、自身の能力が伸びるように努めることであり、実際に伸びることではないということです。意志して、努力すればよいのであり、それが実現するかどうかは倫理性の埒外にあるのです。

他方で、確実に能力を伸ばす方法もあります。それは遺伝子操作を用いることです。

哲学的な議論のなかで、遺伝子操作の必要性を説く論者がいます。それがシュテファン・ローレンツ、ゾルグナーです(日本ではほとんど知名度がなく、日本語のウィキペディアの記事も、彼の著作の日本語訳もありません)。

Stefan Lorenz Sorgner – Wikipedia

ゾルグナーは、トランスヒューマニストを自称します。トランスヒューマニストとは、最先端の科学技術を用いて、人間の能力を向上させることを良しとする立場です。

彼はとりわけ遺伝子操作の必要性について説きます。産まれてくる子供に遺伝子操作をして、より高い能力を備えた人間を「作り出す」ことが倫理的、ならびに法的義務ですらあると言うのです。かなり極端な立場であると言えます。

ゾルグナーの挙げている例をここに紹介すると、昔は予防接種などというものはありませんでした。それを義務として課すことによって、私たちは病気に対する耐性を得ることができ、実際に病気を回避することができています。彼はそれと同じ理屈だと言うのです。

しかし、本当に同じ理屈なのでしょうか?

ゾルグナーはニーチェについての論文をいくつも発表しており、一般的にはニーチェ研究者に分類されます。彼の思想には、確かに「超人」の姿を見てとることができます。他方で、彼はカントについての論文は発表していませんが、その近似性についても考えてみたいと思います。

例えば、予防接種の例に絡めて言えば、もし、低リスク、低コスト、低労力の遺伝子操作によって、将来患うかもしれない重い病気を回避することができるのであれば、それは私たちの幸福の確保に寄与するのであり、推奨すべきという結論になるのではないでしょうか。

しかし、ゾルグナー自身の文面には、病気の回避という、いわばマイナス面のの回避よりも、よりプラスへの志向が色濃く打ち出されているように思えます。以下にゾルグナーのTEDでの講演の映像があるので興味がある人は見てみてください。

Don't we all wish to be Wonder Woman or Superman? | Stefan Lorenz Sorgner | TEDxStuttgart

彼が「完全」「完璧」いったことを強く志向していることがよく分かると思います。全員に遺伝子操作を施すという話ですら拒否反応を示す人たちがいるであろうことを考えると、その上、完全・完璧を目指すという話を聞かされると、引いてしまう人たちも少なくないと思います。

ゾルグナーは、遺伝子操作によって、みんながより長生きできるようになり、認識能力も向上するとしています。それが本当に技術的に可能なのかという問いが浮かびますが、仮にそれが可能であるとしても、そのことが本当に私たちの幸福を確保することにつながるのでしょうか。私は疑わしいと思っています。

例えば、遺伝子操作によってすべての人の認識能力が向上するとします。しかし、考えてみれば分かることですが、できる人もできない人も同じように向上するのです。すると、その差は依然として残ることになるのではないでしょうか。つまり、現状において「あいつ使えねー」と言われているような人は、遺伝子操作を導入した世界においても、やはり「あいつ使えねー」と言われてしまうのではないでしょうか。

もっとも、すべての人に遺伝子操作が導入された世界では、できる人はよりできるようになるわけです。今まで人類にできなかったことができるようになり、それによって多くの人が恩恵を受けるということが考えられるかもしれません。例えば、ものすごいスピードで新薬の開発が進んだり、医学が進歩するといったことです。

ただ、そう考えると次の疑問が浮かんできます。

長生きすることが本当にわたしたちの幸福の確保に寄与するのでしょうか?

以前にも私は似ような問いを発したことがありました。

カント倫理学を実践すると幸福になれないのか
カントは非利己的な善意志から行為することを要求します。そのことは自身の幸福を犠牲にすべきことを意味するのでしょうか。だとすれば、カントは反幸福主義者と言われ(揶揄され)ても仕方ないことになるかと思いますが、実際のところどうなのでしょう。

そこで発した問いは、幕末から明治初期にかけての、自身の幸福を追い求める権利意識が希薄であった頃の人びと比べて、自身の幸福を前面に押し出すようになった現代の私たちは、より幸福になっているのかというものでした。ゾルグナーの立場に与するかどうかも、この点に大きく関わっているので、今一度、同じ問いを発したいと思います。

長生きできるようになり、認識能力が向上することで私たちは果たして今よりも幸福になるのでしょうかどう思われますか?
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