オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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視野が狭くなってしまわないように

Living in a small world カント倫理学

私は野球部出身なのですが、ドイツに住んでいるので、ドイツサッカーの情報が必然的に多く入ってきます。その情報が倫理に関わるものであれば、(倫理学が本職ですから)それについて深く考えることになります。そして、考えた内容をこのサイトで書くことになります。ということで、今回もドイツサッカーの話をしたいと思います。

問題提起

カントは普遍的な視点に立って考えることを説きます。しかし、人間とは狭い世界にのみ身を置いていると、その狭い世界の常識が普通であると錯覚してしまうこをがあります。そして、そうなってしまうと本人は普遍的な視点に立って考え、判断を下しているつもりでも、傍から見れば、まったく浮世離れしたものであるということが起こりうるのです。そのことを自覚しているのであれば、それを避けるよう努める義務があることになります。

バイエルン・ミュンヘンが起こしたスキャンダル

ドイツサッカーリーグのトップリーグである、ブンデスリーガのなかで仕事をしているような人、それもバイエルン・ミュンヘンといった世界トップのチームの内部に長い間いれば、世間の常識と感覚がズレてきてしまうのも無理からぬことなのかもしれません。

現在コロナの影響で、多くの人がすでに仕事を失い、また、その危機にさらされています。ところがサッカー選手も経営陣も仕事を失う者がいなければ、そのリスクもありません。そして、相変わらず膨大なお金を手にしているのです。多くの人がサッカーに厳しい目を向けるなか、バイエルン・ミュンヘンは、カタールでのクラブワールドカップに参加し、批判を受けました。そして主力のトマス・ミュラーがそれによって感染したことは更なる追い打ちとなりました。

監督の問題

そういったことがストレスになっていたのだと思います。バイエルン・ミュンヘンの監督であるハンズィ・フリックが、コロナ政策に関わっている政治家カール・ラオターバッハをやり玉に挙げて、「なんちゃって専門家」(sogenannten Experten)」と称し、「もっと未来に向けた明確なビジョンを示せ」と批判したのです。しかし、名指しされたラオターバッハは政治家になる前は、感染症研究をしており、その分野で博士号を取得している医師なのです。バリバリの専門家であることは疑いようがありません(原発事故が起きたときに「私は原子力の専門家だ」と発言したある国の首相とはわけが違うのです)。そんな人がこのコロナ禍で政治家をやっていることはドイツにとって不幸中の幸いととらえるべきなのです。フリックの発言は大炎上し、後日訂正して、謝罪する羽目になりました。

経営陣の問題

ほぼ同じタイミングで、バイエルン・ミュンヘンの経営陣のトップの座にいるカール=ハインツ・ルンメニゲが二つの問題発言をしました。

先ほど触れたように、バイエルン・ミュンヘンは、クラブワールドカップのためにカタールに飛びました。本来はベルリンから飛ぶ予定だったのですが、まごまごしている間に飛行禁止となる午前零時を過ぎてしまいました。そのため空港から離陸不可の判断が出たのです。するとルンメニゲは夜間飛行を禁止しているブランデンブルク州の政治家に向かって「これは止むことのないスキャンダルだぞ」(Skandal ohne Ende)と不満を口にしたのです。しかし、普通に考えれば、夜間飛行禁止の規則があるのであれば、すべての人がそれに従うのは当然のことであり、ルンメニゲの発言は「俺たちはあのバイエルン・ミュンヘンだぞ」「一般庶民の奴らとは違うんだ」「特別扱いしろ」という意味に受け取られ、大きな批判を浴びたのです。つまり、ルンメニゲは「これは止むことのないスキャンダルだぞ」と相手を脅したわけなのですが、結果的には自らの発言が自身の評価を下げる大スキャンダルを引き起こしてしまったのです。

またルンメニゲは(前述したように、ただでさえコロナ禍においてサッカー選手は恵まれた環境にあるのに)コロナウイルスのワクチンはサッカー選手に優先的に投与すべきであるという趣旨の発言をしたのです。これまた人々から大きな怒りを買ったのです。

こんな逆風のなか、ルンメニゲは先日テレビに出てきて、インタビューに答えました。

私はテレビに出てきた映像を見て、「よく出てきたな」と思いました。それは皮肉ではなく、良い意味でです。前回の記事に書いたようにブンデスリーガの審判は誤審があっても、説明するわけでもなく、非を認めるわけでもなく、ほとぼりが冷めるまで黙り込んでしまいます。ルンメニゲもそうすることができたはずですが、批判を受けることを承知の上でカメラの前に出てきて、インタビューを受けたのです。この点は素直に評価していいと思うのです。

しかし、残念ながら発言内容自体は、あまり感心できるものではありませんでした。ほとんどが責任逃れ、言い訳に聞こえるものでした。

対応策はいかに

フリックやルンメニゲの発言を聞いていると、一般の人とは感覚がズレていると感じます。先ほども触れましたが、人間というのは狭い世界にのみ身を置いていると、視野も狭くなってきてしまうものです。それを避けるには、自分が身を置く世界から意識して顔を出す必要があるのです。

カントの助手であったヴァジアンスキーの証言によると、カントは多様性を重んじて、意図的に食卓にさまざまな身分の者、役人、軍人、学者、医師、商人、学生などを招待して、積極的に意見交換をしたといいます。そして、「頭でっかち」「専門バカ」にならないように、自分の専門分野である哲学の話題は避け、できるかぎり日々の出来事や生活についてやりとりしたそうです。カント自身もそのようにしてバランスを保っていたのです。

記事の最初に書いたように、私は高校生の頃まで(勉強はあまりせずに)野球ばかりしていました。高校卒業後は一般企業に勤めていました。その後、大学に入り、当時はいくつものアルバイトを掛け持ちしていました。今は大学での仕事以外に、自分で小さな学校を経営しており、一応校長・経営者という肩書きも持っています。回り道をしたし、本業と関係ないことをしている(せざるをえない状況にいる)とも言えますが、私はそれによって多くのことを学ぶことができたし、現にできていると肯定的に捉えています。