(new!) オンライン講座の受講生募集

4月26日(金)から、NHKカルチャーセンターでオンライン講座を担当します。カントや倫理学に対する事前知識があっても、なくても構いません。対話形式で進めるので、みなさんの理解度や関心にそって講座を進めていきます。

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審判の説明義務について

Soccer referee カント倫理学

カントは結果ではなく、プロセスを重視します。自分の頭でしっかりと考えたのか、そこに根拠はあったのか、といったことを問うのです。つまり、結果が良かったからといって、プロセスまで否定するような態度には与しません。ただ、「目に見える結果だけを見て、すべてを悟ったような気になるな」と言うからには、自らの思考過程について語ることができなければなりません。

監督業において

スポーツにおいても同じことが言えます。かつて関連する記事を書いたことがあります。

考慮と帰結の関係―スポーツ編
解解説者と言われる人が、采配が裏目に出た時点で「采配ミス」と断ずることがあります。でも、それって結果が分かった後で、後から結果論で批判しているのではないでしょうか。采配を下した監督の言い分の聞かずに、「采配ミス」のレッテルを貼ることなど本当にできるのでしょうか?

もし「結果が伴う=名采配」「結果が伴わない=采配ミス」といった図式が成り立つとすれば、そこに中身はありません。ただの結果論です。采配に妥当性があったのかどうかは、采配の中身によって判断されるべきなのです。

上の記事にも書きましたが、当時バイエルン・ミュンヘンの監督であったカルロ・アンチェロッティ―は、チャンピョンズリーグのパリ・サンジェルマン戦にBチームで臨んで惨敗した際に「誰が出ても同じだ」と言い放ちました。しかし、誰が出ても同じなわけがありません。なぜそのスタメンで試合に臨んだのか説明できないのであれば、または、本当に誰が出ても同じだと考えてスタメンを組んでいたのであれば、それは監督として「不適格」と見なされても仕方ないでしょう。

審判業において

最近私が気になるのは、ブンデスリーガの試合で納得できない判定が多いこと、そして、審判がまったく説明しないことです。説明を聞けば納得できるかもしれません。誤審に見えたけれど、本当は正しい判断だったのかもしれません。しかし、自ら口を開かない、説明しないのであれば、それは「誤審」と判断されても仕方ないでしょう。

ケース1

1月31日のボルフスブルク対フライブルクの試合で、フライブルクの選手はボルフスブルクの選手の足を後ろから踏んでいます。その直後にボルフスブルクがゴールしていますが、本来はファールがあったためにノーゴールとなるべき場面です。以下にそのシーンを貼っておきます。

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客観的な立場にいるアナウンサーも「誤審」と表現しています。私の目にも、本来はファールであるのに、それを見逃している、つまり、誤審に映ります。フライブルクの選手たちはその場ですぐに抗議しました。ブンデスリーガはビデオ判定を導入しており、審判は自分でビデオを確認することができるはずなのですが、しません。それでもケルンで審判団がチェックしているので、明らかな誤審があった場合にはケルンの審判団がビデオを見て、誤審を指摘することもできるのですが、それもなかったのです。

当該の審判が何を考えていたのか知りたいところですが、少なくとも私には彼のインタビューを見つけることができませんでした。私が見つけることができたのは、ドイツサッカー協会の審判団の公式ツイッターにあった「あれは明らかな誤審とまではいえない」という書き込みです。

しかし、これを読んでも、何も払拭されません。私が知りたいのは、「誤審とは言えない」という言葉ではなく、そう言い切れる根拠なのです。その根拠が示されていないのであれば、誤審と思われても仕方ないでしょう。

ケース2

それからたった二日後に、また不可解な判定がありました。2月2日のドイツカップのドルトムント対パダボーンの試合で、ドルトムントのゴールがオフサイドに見えるのですが、審判はオフサイドを取りませんでした。そのシーンがこちらです。(ビデオの後半には、さらにもうひとつの誤審と思われるシーンが映っていますが、ここでは触れません。)

ケルンの審判団はオフサイドか否かのビデオ判定に5分くらい要しました。しかし結局、主審の判断を尊重して、判定は覆りませんでした。

このゴールが認められた時点でも、試合が終わった後も、試合を裁いている責任審判とケルンのビデオ判定の審判団との間で、どのようなやり取りがあったのか、そして、責任審判がなぜそのような最終判断に至ったのかということについて、私たち視聴者の側にはまったく伝わってこないのです。

ただ、パダボーンの監督、シュテファン・バウムガルトが審判に問い詰めた際に聞いた話によると、確かにドルトムントのボールを受けた選手はオフサイドポジションにいたものの、その前にパダボーンの選手がボールを止めに入り、わずかながら触れたので、オフサイドは成立しないという説明を受けたというのです。しかし、バウムガルト監督は依然として激高しており、まったく納得していません。なぜ納得していないのかというと、スローで見ても本当に触っているのかどうか、よく分からないようなシーンなのです。それをリアルタイムで一度見ただけで分かるとは思えない、ビデオを確認することくらいすべきなのでは、という思いがあるのです。

もしバウムガルト監督が審判から聞いた話が事実であるならば、私自身その言い分は、もっともだと思います。しかし、私にはそれが事実なのかどうか、審判本人が口を開かないから分からないのです。本来、一方の意見だけを聞いて、他方を裁くような欠席裁判のようなことはしたくありませんが、本人が話そうとしない(疑念を晴らそうとしない)のですから、何を言われても仕方ないのではないでしょうか。

私なりにいろいろ探してみて、以下のサイトを見つけました。

Drees: "Wahrnehmung konnte nicht eindeutig widerlegt werden"
Siegtor regulär? Im DFB-Pokalachtelfinale sorgte das von BVB-Angreifer Erling Haaland erzielte 3:2 gegen Paderborn für D...

ドイツサッカー協会のサイトで、当該試合のことについて書かれています。重要な点だけを掻い摘んでまとめると、試合を裁いた審判が審判団の責任者(上司)に語ったところによると、パダボーンの選手がボールに触れた「音」を聞いたというのです。そして、ケルンのビデオ判定をしている側も、「ボールに触っていないことを確認することができなかった(つまり明らかな誤審とは言えない)」ということで、審判は自分の下した判定を覆すことなく、そのままオフサイドの判定が確定したというのです。

このサイトの文面を読む限り、筋は通っているようにも見えます。すると繰り返しになりますが、「どうして試合を裁いた審判が自分の口でメディアに向かって、判断の根拠について語らないのか?」「視聴者の疑念を払拭しようとしないのか?」という疑問が湧く、というか、その思いがより強くなるのです。

理性の公的使用

ネット上にはこの審判に対するたくさんの批判が寄せられています。このハレーションはその審判が自分で説明しないことによって起こっていることなのです

稀にですが審判が試合後に直接インタビューに答えることもあるので、ブンデスリーガや審判組織が禁止しているわけではないと思いますが、もし禁止しているとすれば、それは規則として問題ありでしょう。カント的な言い方をすれば、組織がひとりひとりを「未成年状態」と見なしているということになると思います。審判に対しては「トップの俺に任せろ。お前が話すとボロが出るだろうから黙っておけ!」、視聴者に対しては「どうせお前らなんかに分からんだろうから、説明などしない」という発想が根底にあることになります。まあ、実際にはそんな露骨な言い方はせずに、「個々人の審判を守るため」とか「対立を生まないため」とかもっともらしいことを言うのでしょうか、内容的には審判も視聴者も信じていない、審判には責任を持たせたくないと考えていることを意味しているのです。

もしくは、組織としては禁止しておらず、審判個人がインタビューを拒んでいるのかもしれません。しかし、自分の判断が正しいと信じているのであれば、堂々と申し開きをすべきであるし、誤審をしてしまったと自覚しているのであれば、そのことを素直に認めるべきでしょう。その点をあやふやにして、見ている側に疑念や不信感を与えてしまうようなやり方は避けるべきだと思うのです。

追記

この記事をここまで書き終えた後で、以下のビデオを見つけました。

- YouTube
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ブンデスリーガの元審判、ペーター・ガーゲルマンが、レーゲンスブルク対ケルンの試合のオフサイド判定について私見を述べています。問題のシーンは、レーゲンスブルクの選手がクリアしたボールを、オフサイドエリアから下がってきたケルンの選手が追いついて、センタリングを上げ、それがゴールに結びついているシーンです。

審判の下した判定は、オフサイドでした。ガーゲルマンによると、レーゲンスブルクの選手はパスしようとしたわけではなく、クリアしようとしたのであり、そのため、そのボールをオフサイドポディションにいたケルンの選手が触ればオフサイドになると言うのです。

しかし、この理屈だと、先ほど紹介したドルトムント対パダボーンの試合のオフサイド判定の説明がつかなくなります。あのシーンでは、パダボーンの選手はパスしようとしたわけではなく、クリアしにいっていることは、明々白々だからです。

番組の方もそれを見越して、ガーゲルマンにそのシーンを見せます。すると彼は、パダボーンの選手がボールに触れたかどうかの話をはじめて、話しが本題から逸れていってしまうのです(パダボーンの選手がボールに触れていなければオフサイドであるはずであるし、触れていたとしても、先ほどの彼の理屈を持ち出せば、やはりオフサイドになるはずです。どちらでも結論は変わらないのであり、問題の本質に触れていません)。

その後も「ああだこうだ」言っていますが、正直ガーゲルマンの説明は歯切れが悪いと感じました。そして、私自身、サッカー競技規則11条、オフサイドの項を探してみましたが、ガーゲルマンの解釈が、どこの文面から成り立つのか分かりませんでした。

  結語

上に貼りつけた直近のビデオの最後には、ケルン監督のマルクス・ギスドルの「ルールがさっぱり分からん!」と言っているシーンが映っています。私もまったく同感です。あるスポーツが、いくら調べても考えても理解できないようなルールであるとしたら、そのスポーツは本質的な欠陥を抱えていると言えると思います。どうにかしてほしいものです。