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先入観の源泉についてのカントの分析

Prejudice カント倫理学

前回の記事において先入観の源泉について話をしました。これについてカントの分析は極めて正確であり、私たちにとって大いに得るものある内容のものなので、今回の記事では、その中身について掘り下げてご紹介したいと思います。

自己愛または論理的利己主義に起因する先入観

まずは前回の記事のおさらいです。

先入観の源泉のひとつにカントは「自己愛または論理的利己主義に起因する先入観」を挙げています。これは自分の好みや願望から先入観を抱き、そこから結論を導く姿勢のことです。例えば、祖国ロシアを愛していることが「ロシアは正しい」に結びついてしまうような態度です。ここに根拠だの理性的な考慮だのはないわけです。当然、これではよろしくありません。

声明の先入観

前回の記事では、この種の先入観の源泉についてのみ触れましたが、カントはこれとは別のものについても言及しているのです。それは「声明の先入観」というものです。そして彼はそれをさらに三つに分けて説明するのです。ひとつひとつ見ていきたいと思います

個人の声明の先入観

これはある特定の誰かが言っていることは「正しいはず」という先入観に結び付けてしまうことです。例えば「プーチンが言っているから正しいはず」という態度です。権威主義に近いと言えます。

多数の人々の声明による先入観

これは「みんなが言っているから」ということが「正しい」という先入観に結び付けてしまう態度のことです。とりわけ日本に多いタイプなのではないでしょうか。

時代の名声による先入観

これは「今はすばらしい」とか、反対に「昔はすばらしかった」といった先入観のことです。例えば「今の時代に武力で他国を制圧するなんてありえないでしょ」という先入観から、当然ロシアもそんなことをするはずないという結論に至るのです。

先入観の源泉についてのまとめ

以上がカントの先入観の源泉についての分類です。この分類で現実の事象についてもおおむね説明できるのではないでしょうか。図にすると以下のようになります。

先入観から結論を導いてしまわないために

先入観を持ってしまうことは仕方ないことと言えます。問題は先入観から結論を導いてしまうことなのです。

では、それを避けるにはどうしたらよいのでしょうか?

勘の良い人はすでに答えが出ているのではないかと思います。自分の頭で考えないから、先入観に捕らわれたままになってしまうのです。つまり、自分の頭で考えればいいのです。カント自身は啓蒙されることによって可能となる、というような言い方をしています。

哲学の世界も例外ではない

本来、哲学というのは考え抜く営みであるはずです。しかし、実際には哲学に携わる人々の間でも、先入観に捕らわれて思考を停止したり、制限をかけてしまう姿が見られます。

典型的な事象は、偉大な先哲のテキストが理解できない際に多くの人は「(書き手が悪いのではなく)理解できない自分が悪いんだ」と受け取ってしまうようことです。「昔の人の考えたことはすばらしいものであり、何かすごいことが書かれているに違いないんだ」などと思い込んでいるとすれば、それは「時代の名声による先入観」に縛られている以外のなにものでもありません。

私に言わせれば、カントの文章なんて本当に酷いもんなんですよ。当然(あなただけではなく)カントにも非があるんです。

もっともそこで「これだけ世界中で多くの人に読まれているのだから、やっぱりすごいんじゃないの?」と言う人がいるかもしれません。これはまさに「多数の人々の声明による先入観」に引きずられていると言えます。加えて「世界的権威の〇〇先生も△△と言っているし」などと言い出したら、これはもう「個人の声明の先入観」なわけです。

このような発言をする人たちは、先入観に捕らわれており、しっかりと自分の頭で考えることができていないのです。そしてそれは、たいていの場合、あるひとつが暴走しているというよりも、むしろ複数のものが相互に影響し合いながら幅を利かせているのです。

さいごに

自分が先入観を持ち、それを前提にして結論を出していないかどうか、同じことですが、自分で考え根拠をもとに判断を下しているのか常に自分自身に問いかけてみてほしいと思います。