オンライン講座の受講生募集

来年1月から、NHK文化センターでオンライン講座を担当することになりました。テーマはもちろんカント倫理学!事前知識がなくとも理解できるように話します。とはいえ一人で話すつもりはなく、みなさんと積極的にやり取りしていきたいと思っています。私自身の学びの場にしたい!

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妥当性がないことが分かっていながら発言していて虚しくないのか

カント倫理学

前回はサッカーに関する記事を書きましたが、今回もサッカーネタです。おらが町のサッカーチーム、アイントラハト・トリアは五部リーグのチームなのですが、残り一試合の時点で二位、最後の試合の結果によっては一位になり、四部昇格の可能性があるということで、ホームスタジアムに見に行ってきました。

もちろん私は地元のトリアのチームを応援していました。ただ、サポーターを見ていて、ついていけないと思いました。言っていることが無茶苦茶なのです。例えば、目の前でトリアの選手が相手選手を引っ張っているのです。どう見てもファールです。そこで審判がファールの判定をすると、トリアのファンは「どこがファールなんだ!」と文句を言うのです。反対に、相手がトリアの選手を少しでも引っ張ろうものなら、「ファールだ」「カード出せ」と騒ぐのです。

彼らには本当にファールかどうかなどといったことに関心はないのです。ただ自分が応援するチームに都合の良いことを言っているに過ぎないのです。

「ファンなんだから応援するのは当然だ」と言う人がいるかもしれませんが、だとすれば、その人は自分の言明に妥当性などないことを認めなければなりません。それでいいのですかという話です。

カントは愛が人を盲目にさせることを説いています。

惚れ込んでいる者は、愛する相手の欠陥に対しても不可避的に盲目になる。(『人間学』)

愛という感情から発言し、その相手を全肯定するような人間の言うことに、私なら耳を傾けようようとは思いません。

ちなみに試合結果ですが、二位のトリアは勝ったものの、一位のチームも勝ったため、結局直接昇格とはならず、プレーオフに回ることになりました。どうなることやら。