(new!) オンライン講座の受講生募集

4月26日(金)から、NHKカルチャーセンターでオンライン講座を担当します。カントや倫理学に対する事前知識があっても、なくても構いません。対話形式で進めるので、みなさんの理解度や関心にそって講座を進めていきます。

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反ワクチン派の人々への対処について

反コロナ カント倫理学

ドイツは依然としてコロナウイルスの感染が拡大しており、余談を許さない状況にあります。ベットも不足しており、昨日も特に状況が深刻なバイエルン州から、四人の患者をわざわざハンブルクまで輸送して、治療に当たるというニュースが流れていました。

Nachrichten aus Hamburg
Aktuelle Informationen und regionale Nachrichten aus Hamburg von NDR 90,3, Hamburg Journal und weiteren NDR Programmen.

これだけ感染が広がっている一方で、前回や前々回の記事において触れたように、ワクチンを打つことを拒否する人たち、反ワクチンの活動をする人たちなどが未だに大勢いるのです。

問題提起

先日私は、日本学科に籍を置くドイツ人から興味深い発言を耳にしました。「日本人はお上に言われれば素直に従うけれど、ドイツ人は自分の頭で考える人が多いから、コロナ対策が難しくなる」と言うのです。

ドイツは今かなり危機的な状況にあるわけですが、発言者はそのネガティブな現状について、人々が自分の頭で考えた結果であるとポジティブに捉えているのです。それと同時に、団結して対応に当たって、現に今のところほぼウイルスを封じ込めているポジティブな現状の日本を人々が自分の頭で考えない結果としてネガティブな理由と結び付けているのです。

逆説的で非常におもしろい指摘だと思いました。

本当にドイツ人の方が考えているのか?

しかし、本当にドイツ人の方が日本人よりも自分の頭で考えているのでしょうか。この問いに対して、私は「jein」(ヤイン)と答えたいと思います。「jein」とは、ドイツ語で肯定の「ja」(ヤア)と、否定の「nein」(ナイン)をくっつけた言葉です。つまり、ある意味では正しく、ある意味では正しくないということです。

「正しい」と思う理由としては、ドイツ人は根拠にこだわる点が挙げられます。日本にいると、「それがルールだから」とか「それが決まりだから」という言い方で済んでしまうことが多いように思うのです。しかし、ドイツでそんなことを言ったら、「『それがルールだ』とか『それが決まりだ』は根拠になっていない」という反応が返ってくると思います。おかしなルールや決まりであれば、是正されるべきであり、それがルールであることや決まりであることは、それが妥当であることを示す根拠にはならないはずなのです。そういう意味で、お上がワクチンを打つように呼び掛けても、ドイツ人の多くは盲目的に従うようなことはせずに、納得できなければ行動に移さないという指摘は間違っていないと思います。

他方で「正しくない」と思う理由としては、これは前回や前々回のキミッヒ選手やトーク番組に出てきた哲学研究者の話と被りますが、どうも反ワクチンの側の意見を聞いていると、ある程度は考えているのであろうけれど、明確な根拠が示されていないことが多く、私の目には結論ありきで物事を考え、発言しているように見えるのです(当たり前ながらも一応断っておきますが、病気などの理由でワクチンを接種できない(してはいけない)人などはここでは念頭に置いていません)。

ドイツの反ワクチン運動についてのドキュメンタリービデオを張り付けておきます。

ビデオのなかではマールブルクの活動家が出てきます。ワクチンは医学的な力学によってではなく政治的な力学によって行われているだとか、ワクチンを打たない人に対する差別が心配だとか言っていますが、なぜワクチンを打たないのかの根拠については述べられていません。あえて言えば、「車に乗るのもリスクだ(だからコロナウイルスばかりを特別なリスクとするのはおかしい)」というようなことも言っていますが、インタビュアーの「ではコロナと車のリスクは同程度なのか?」という質問には、否定して別の話にすり替えてしまっています。「じゃあ、なんで車の話をしたんだ」という話です。根拠になっていません。

交通事故はパンデミックのような特別な対応をとっているわけでもないのに、それでも病院がパンクするようなことはありません。他方で、コロナウイルスの方は、もし政府が規制をかけずに、人々も(コロナ以前のような)普通の生活を送ろうとすれば、世の中は入院できない(そして、そのまま亡くなってしまう)コロナ患者であふれ、地獄絵図と化すでしょう。比較対象として不適切です。

またこのシーンもビデオにありますが、反ワクチンについて象徴的なのは、町中には反ワクチンのポスターやフライヤーなどが出回っていて、そこには「専門家」として名前が挙がっている人たちがいるのですが、取材クルーがその人たちにインタビューを試みても、誰も応じないのです。反ワクチンの立場をよく表している一場面だと思います。

考える、根拠を立てるといって理性的な営みには限界があるのでは?

私の周りにもワクチンを打たない人がいます。なぜ打たないのか私が聞くと、そもそもちゃんと答えない人が多いのですが、真摯に答えてくれたとしても「よく分からないから」とか「なんとなく不安だ」といった反応が大半なのです。

これも先ほどのビデオに出てくるのですが、ドイツ人のうちの二割はワクチンに不安を抱え、そのうちの一割は絶対にワクチンを打つ気がないと答えているのです。ビデオにはウイルスの専門家であり、政治家でもあるカール・ラオターバッハが出てきて、そういったイデオロギーに染まっている人に理性的に説得しようとしても無駄であると嘆いています。

カントという人は万人に理性が備わっており、そのため真剣に考えさえすれば、(障害や病気や極限状態などの条件下を除いて)誰もがまともに思考できるはずであることを信じていました。しかし、ラオターバッハの立場は、それに異論を唱えているように見えます。

私は基本的にはカント主義者ですが、ラオターバッハの言いたいことは、分からないではありません。確かに、ワクチンの効用について理解する気がない人に、いくら理性的に説得を試みても無駄なのかもしれません。どんなに根拠が積みあがっても、やりたくない人はやりたくないのです。そこにあるのは理性ではなく、もはや感情でしかないのです。

ではどうしたらいいのか

カントは「話せば分かるはず」という言い方をしますが、しかしいくらなんでも本当に一人残らず全員にそれが当てはまると考えているわけではないと思います。もしそう信じていたとすれば、それはあまりにも現実から乖離しており、能天気過ぎるでしょう。

(例えば、哲学科の大学院なんかにゴロゴロいるのですが、いつまでも学生をやっていて、一向に社会に出ようとしないような)浮世離れした人ほど真顔で「みんなと仲良くしないとダメだよ」などと言ってくるのですが、現実には、自分の主張を叫びたいだけの人、相手を理解する気がない人、悪意を持って近づいてくる人などがいるのであり、そういった人を嗅ぎ分けたり(「この人おかしい」と感じる力を養ったり)、距離を取ったりする術を磨くことも必要であると思うのです。