オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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翻訳は賃金が発生する、れっきとした仕事なんです

私たちは奴隷ではない カント倫理学

君は君自身の人格、ならびに、あらゆる他人の人格における人間性を常に同時に目的として使用し、決して手段としてのみ使用しないようにせよ(カント『人倫の形而上学の基礎づけ』)

かつての私

今は滅多にありませんが、以前は定期的に、日本の大学に勤める先生からドイツに住む私に対して、翻訳をしてほしいとか、翻訳のチェックをしてほしいといった依頼が入ってきました。

これまで何度も依頼を受けてきましたが、共通していることは、報酬はないということです。つまりタダ働きということです。

理論上は依頼を断ることはできるはずなのですが、以前の私にとってはそれはとても難しいことでした。

私のなかには先生方と良好な関係を保ち続けることが大切であるという思いがありました。特に私の場合はドイツに住んでいたので、日本にいる先生方と接点を保つのが難しく、連絡をもらえるだけでうれしいという気持ちがありました。まあ向こうからすれば、私などただの便利屋だったのでしょうが…。

また下働きをしていれば、そのうち報われるのではないかという気持ちも正直ありました(なので、私の行為はカント的にはちっとも倫理的に善なる行為ではないことになります)。

実際に「君の名前が載るんだから」「こういう仕事の積み重ねが将来の自分のためになるんだ」という言い方をして、その仕事を引き受けることが私のためになるかのような言い方をしてくる先生もいました。

私はわざわざ君を指名しているんだよ。

現在の私

そういった言葉に対して以前の私は「そうなのかもしれない」とも思っていました。しかし、今はまったく違った立場に立っています。仮に、その仕事が私自身のためになるにしても、私の名前がどこかに載るとしても、それらのことは報酬が発生しないことの理由にはならないはずなのです。

私はもう十年以上ドイツに住み、日本の先生とはどうしても疎遠になってきているので、そういった依頼は減っていますが、今でもたまに舞い込んできます。でも基本的に断るようにしています。

ああそう、やらないの?もったいない。

問題の所在

ここには倫理的な問題が横たわっていると思うのです。

世の中には翻訳を生業にしている人たちがいます。私の周りにも何人かいますが、彼らは非常に安い賃金で働いています。

私自身、ずいぶんと後になって気がついたことなのですが、私がタダで翻訳を請け負ってしまうということは、彼ら翻訳を生業にしている人の仕事を奪ってしまっていることを意味するのです。

現実には私一人がやっているわけではなく、同様のことは至るところで行われていると考えるのが自然でしょう。そういったことが、翻訳を専門とする人たちの仕事の機会を奪い、報酬額を押し下げてしまっているのです。

どうすればいいか

ではどうすればいいか、という問いの答えは簡単で、翻訳を依頼する側が正当な報酬を払って頼めばいいのです。そして、どうせ払うなら翻訳を生業にしている人に頼んだ方がよいのではないでしょうか。私に翻訳の依頼をしてくる人たちは定職にある人ばかりです。ただでさえ経済的な強者なのですから、弱者の側に正当な対価を払ってその富を少しは分配すべきだと思うのです。

秋元
秋元

翻訳なんて(立場の弱い)誰かにタダでやらせればいいんだ、という考え方はやめてほしいと思います。