オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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どこまで人は能力を伸ばすべきなのか

Genetic engineering カント倫理学

前回の記事ではカントが、自身の能力を磨く義務があると考えていることについて紹介しました。ただ注意してほしいのですが、彼が念頭に置いているのは、自身の能力が伸びるように努めることであり、実際に伸びることではないということです。

ゾルグナーとは

他方で、確実に能力を伸ばす方法もあります。それは遺伝子操作を用いることです。哲学的な議論のなかで、遺伝子操作の必要性を説く論者がいます。それがシュテファン・ローレンツ、ゾルグナーです(日本ではほとんど知名度がなく、日本語のウィキペディアの記事も、彼の著作の日本語訳もありません)。

Stefan Lorenz Sorgner – Wikipedia

ゾルグナーは、トランスヒューマニストを自称します。トランスヒューマニストとは、最先端の科学技術を用いて、人間の能力を向上させることを良しとする立場です。

彼はとりわけ遺伝子操作の必要性について説くのです。生まれてくる子供に遺伝子操作をして、より高い能力を備えた、そして、より長生きできる人間を「作り出す」ことが倫理的、ならびに法的義務ですらあると言うのです。

かなり極端な立場に見えます・・・。

疑問一

ゾルグナーの挙げている例をここに紹介すると、昔は予防接種などというものはありませんでした。それを義務として課すことによって、私たちは病気に対する耐性を得ることができ、実際に病気を回避することができています。彼はそれと同じ理屈だと言うのです。

しかし、本当に同じ理屈なのでしょうか?

予防接種は病気という、いわばマイナスを避けるためのものです。しかし、ゾルグナーが説いているのは、健康な人間に、高い能力や、寿命を付与することです。彼は至るところで「完璧」「完全」”perfect”を目指すという言い方をしています。このような正常値以上の機能をもたらすことを「エンハンスメント」と言います。つまり、エンハンスメントかどうかという点において、予防接種の話と、ゾルグナーの立場の間には決定的な違いがあるのです。

疑問二

仮に、遺伝子操作によって、低リスクで、かつ、少ない予算で、人の能力や寿命が伸ばせるとします。

しかし、それが本当に私たちを幸せにするのでしょうか?

以前にも私は似ような問いを発したことがありました。

カント倫理学を実践すると幸福になれないのか
カントは非利己的な善意志から行為することを要求します。そのことは自身の幸福を犠牲にすべきことを意味するのでしょうか。だとすれば、カントは反幸福主義者と言われ(揶揄され)ても仕方ないことになるかと思いますが、実際のところどうなのでしょう。

例えば、100年前の日本人はまだ文字が読めない人がたくさんいました。教育レベルは間違いなく今の人々の方が上であるはずです。そして、平均寿命は当時とは比べ物にならないくらい長くなっています。では、私たちは100年前の人たちよりも幸福になっているのでしょうか。

私はかなり疑わしいと思います。もし遺伝子操作が私たちが幸福になるのに寄与しないのであれば、それは何のためにするのでしょうか。