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自分の属性について | カントに学ぶ意志の倫理学

自分の属性について

正義とはカント倫理学

最初に、前回の記事の内容について復習をしておくと、ロールズは公正としての正義として二つの原理を立てます。ひとつは、他人の自由を侵害しない限り、自由は尊重されるべきことを説く自由原理であり、もうひとつは、もっとも不遇な人に最大の恩恵があるべきことを説く格差原理と、そこから這い上がる可能性が開かれているべきことを説く機会均等原理からなっていました。

そこで鍵となるのが「無知のヴェール」という発想になります。人というのは自分の属性について意図的に考慮に入れようとしなくとも、それが頭の片隅にあるだけで、どうしても自分寄りの帰結を導いてしまう恐れがります。例えば、自分が男性であれば、無意識のうちに男性に有利なルールに傾いてしまうといったことです。そういったことを避けるために、自分の属性について一切知らないかのような(無知の)ヴェールのもとで考え、判断を下すことが求められるのです。

ロールズ自身、無知のヴェールについてカントから着想を得ていることを公言しています。どのあたりがカント的なのかというと、カントの場合は、普遍化の思考実験によって、自分の視点だけではなく、あらゆる他者の視点に立つべきことを求めます。そこで言われる、「あらゆる他者」のなかには、当然、もっとも不遇な人たちも含まれることになるのです。

しかし、この無知のヴェールという発想は、発表と同時に大きな批判を浴びることになりました。その批判とは、自分の属性について知らない私が何らかのことについて考え、判断を下すことなどできないというものです。

ひとつ卑近な例を挙げて説明したいと思います。私は実際に以下のような経験をしたことがあります。よくありそうな他愛もない会話なのですが、あるとき数人で話をしていて、「生まれ変わるなら男がいいか、それとも女がいいか」というような話題になりました。そこである女性が以下のように言ったのです。

かわいい服を着たりできるからまた女性の方がいい!

しかし、この発言を聞いて私は思ったのです。

秋元
秋元

それって今の自分が女性である上での好みに根差した立場であって、生まれ変わった場合には属性がまったく異なるのでり、そもそもかわいい服などに興味がない可能性が高いのではないか?

ただ、考えてみると、先の問い自体にそもそもどれだけの意味があるのかという疑問が出てきます。どのみち属性は変わってしまうのに、今の属性の上での立場について尋ねても、意味がないのではないでしょうか。もしくは今の属性について完全に無視して考え、判断を下すことなどできるのでしょうか。

私は厳密には、無知のヴェールのもとで思考し、判断を下すことなどできないと思っています。

ただし、そのことは、無知のヴェールという発想が無意味であることを必ずしも意味しません。例えば、ミスを犯さない人間など存在しません。だからといってミスをしないように努めることが無駄であることにはならないはずです。たとえ実現不可能なことであっても、高い目標に向かって努力することは有効であり、必要なことなのです。

私はカント倫理学においても、ロールズの正義論の文脈においても、自らの属性についてできる限り排除した上で、考察を加え、判断を下すべきであると思っています。

ロールズ正義論とカント倫理学の類似性について触れてきましたが、相違点についても明らかにしておきたいと思います。

カントは利己的な行為に倫理的価値を認めない論者でした。他方のロールズは非利己的な行為を要求するようなことはしません。むしろ、自分に災難が降りかかるかもしれないと捉えることによって、他人事ではなく、より自分自身の問題として考えることができるとしているのです。利己的な発想にもとづいていて一向に構わないのです。

前回の記事の冒頭に断ったことですが、ロールズは「私がどう生きるべきか」という道徳哲学に関する問いにも関心はありますが、それ以上に「社会がどうあるべきか」といった政治哲学、法哲学、厚生経済学等に関わる問いにより強い関心があるのです。

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