オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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自分よりも立場が弱い人間をこき使う風土

日本の労働環境 カント倫理学

前回の記事において、日本の大学では教授職の人間が翻訳の仕事を立場の弱い非常勤やポスドクや大学院生といった人間にタダでやらせるということがまかり通っているという話をしました。

昔の丁稚奉公の名残でしょうか。翻訳に限らず、仕事はできる限り「下の者」に無報酬、または、不当に低い報酬でやらせればよい、という風土が日本のなかに根強く残っていると言えます。

ドイツの事情

もっとも私自身、日本にいたときには何も感じませんでした。ドイツに来てから、それが異常なことであることに気がついたのです。

私はドイツに住んでいるので、今ではドイツの大学の教授から翻訳の依頼を受けることの方が多いですが、無報酬で頼まれたことは一度もありません。というか、よく頼んでくる人は毎回「報酬が低くて悪いんだけど…」という一言を添えてくれます。

確かに、その労力と時間を考えたら、翻訳の報酬額など割の良い仕事とは言えません。そのただでさえ、釣り合わない仕事を、タダでやらせようとう日本の大学の教授の姿勢はどうなのかと思うのです。

日本の国際的な評価の低下を招く

私が奉職しているドイツのトリア大学には日本学科があり、以前はそこで教鞭を執っていたこともありました。トリアという町自体は小さいのですが、国境近くに位置し、近くにはルクセンブルクがあります。その首都であるルクセンブルクは金融都市でいくつかの日本企業も進出しています。トリア大学日本学科の学生のなかにはルクセンブルクの日本企業に勤めたいという人が毎年必ず出てきます。しかし、私はお勧めしません。なぜなら、仮に勤めたとしても、みんな長続きしないからです。

その理由はたくさんあります。もっとも多く聞くのは、先ほどから私が指摘している、自分よりも立場の弱い人間をこき使うという風土に対する不満です。具体的には、違法残業、飲み会の強要、パワハラ、セクハラなどです。日本学科を卒業しており、そして彼らはたいてい日本に留学経験もあり、日本のことはよく分かっているはずなのです。それでも「もう無理」「耐えられない」と言って、辞めていくのです。

また、よく聞くのは、「どうしてはっきりものを言わないのか?」ということです。「顔を見て判断しろ」とか「言われなくても動け」とか、そんな物言い日本でも若い人には通用しなくなってきているのではないでしょうか。それを外国人に求める方がどうかしていると私は思います(日本人として聞いている私の方が恥ずかしくなってきます)。

そのような悪しき日本式の企業体質が凝縮した形となって表れているのが、外国人の技能実習生制度下で行われていることと言えると思います。時給300円、トイレに行けば罰金、暴力、もはや奴隷のような扱いです。

カントが生きていた当時は、南北戦争のはるか以前で、アメリカなどでは奴隷制度が当然のこととして運用されていました。しかしカントは明確に奴隷制度に対して反対の姿勢を示しています。

何びとも、一個の人格たることを中止せしめられるような、こういう奴隷状態へ拘束されえない。(カント『人倫の形而上学』)

現在、制度としての奴隷は世界のどこも存在しないことになっています。しかし、貧しさのあまり仕事を選べず、職場で奴隷のような扱いを受けている人たちが今でも世界中にはたくさん存在するのです。その恩恵だけ受けておきながら、負の側面を見て見ない振りをしたり、知ろうとしないことは、奴隷のような扱いをする人たちに加担していることになるのではないでしょうか。

伝えたいこと

日本はすでに、職業訓練の場としては、敬遠される国になっています。

Just a moment...

短期的な利益だけ求めて、人間を人間として扱わないような姿勢は、自ら、そして自らが属する社会であり、国でありを貶め、評判を下げること、つまり、自らの首を絞めることにつながるのです。倫理を蔑ろにする者は倫理に足をすくわれることになるのです。