前回の記事では、ジョージ・フロイド殺人事件で再燃した、アメリカの黒人差別問題をテーマに話をしました。
仮象に騙されるな
肌の色やら顔立ちなどから人の内面までも評価するような態度に対して、カントであれば、「仮象に騙されるな!」と言うと思います。仮象とは「〇〇に見える」ということで、それは本来「〇〇である」と意味しないのです。例えば、「道徳的に悪い行為に見える」を「道徳的に悪い行為である」に結びつけてはいけないのです。
私の住んでいるドイツにも、もちろん差別はあります。もっとも目につくのは数の多い、トルコ系やアラブ系の人たちへの差別です。彼らは大学進学率が低く、低賃金の仕事に就いているいることが多く、または無職の割合が高いのは事実です(それらが理由となって、しばしば見下されることになる)。しかし、なぜそのような事態が生じるのでしょうか。
私自身もドイツに来る前や、来たばかりの頃は、彼らがなぜドイツ社会の底辺にいるのか、その原因についてよく分かっていませんでした。今回は私が身をもって学んだこと、気づいたことについて書きたいと思います。
なぜ二世、三世までもが社会的底辺に留まってしまうのか
ドイツで生まれ育ったわけでもなく、大人になってから移民や難民としてドイツに来て、ドイツ語を学びはじめたのであれば、その後もドイツ語力が不自由であり、そのため割の良い仕事に就けない、または無職に留まるというのなら納得できます。しかし、ドイツで生まれ育った彼らの子孫、二世、三世までも、低所得や無職に留まっているという現実があるのです。なぜでしょうか。
これは私自身、長くドイツに住んでいるうちに分かってきたことなのですが、移民・難民の夫婦の場合、子供がいくらドイツで生まれ育ったとしても、彼らの親はドイツ語母語話者ではありません。するとどういうことが起こるかというと、彼らは親からドイツ語を学んだり、学校で教わった内容を見てもらったりということができないのです。
このようなことがあると、二世はドイツ生まれで、ドイツで教育を受けているにもかかわらず、第一言語はトルコ語やアラビア語で、ドイツ語はかなり上手であるものの、母国語話者に比べると劣るということが起こるのです。または、話すのには不自由しなくとも、書くとなると問題があるというケースも見られます。つまり、移民や難民の子孫は、ドイツで生まれて、ドイツの教育を受けているからといって、必ずしもドイツ人と同等のドイツ語力やそれに裏付けされた学問的な素養が身につくというわけではないのです。
私自身、ドイツで子供を育てるようになってから強く自覚するようになったことなのですが、親がドイツ語母語話者ではなく、ドイツの教育も受けていないということは、相当なハンデとなります(私の家庭の場合は妻がドイツ人、しかも教師なので、このような問題は生じません)。
さらに格差が広がる懸念
特に今年は、コロナ禍において学校が休校になることが多く、両親ともに外国出身となると、ただでさえ不利であった彼らの子供の学習状況は、さらに悪くなることが予想されます。
うちの近所にもシリア難民の家族がいますが、家族全員ドイツ語はあまり上手ではありません。旦那の方が職場でドイツ語を使うようですが、コロナの影響で奥さんや子供たちは家にいることが多く、見ていて「これではドイツ語上達しないだろうなあ」と思います。特に子供の場合は、ドイツ語の習得が遅れれば遅れるほど、後から苦労することになるので、これは由々しき事態だと言えます。いつコロナが収束するか分からないことを考えると、この影響は数年後、数十年後に大きな問題となって露出することになるかもしれません。
対策を希望する
ロールズ的な発想で、もっとも不遇な人たちが、もっとも手厚いサポートを受けられることを望みます(悲しいかな、結局お金の問題ということになるのだと思います・・・)。