オンライン講座のお知らせ

2025年1月10日よりNHKカルチャーセンターにおいて「カントの教育学」をテーマに講座を持ちます。いつも通り、対話形式で進めていくつもりです。とはいえ参加者の方の顔が出るわけではありませんし、発言を強制することもないので、気軽に参加してください。
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説明しない理由が思い浮かばない

カント倫理学

前回、佐々木投手についての記事を書きましたが、今回も彼が登場します。しかし彼は主役ではありません。今日の主役は、佐々木投手が投げた試合で審判をしていた、白井一行球審です。大きなニュースになったので、多くの人は「ああ、あれだな」と思うかもしれません。そう「あれ」です。

今回の記事について、予め要点をまとめておくと、①感情を表出させることの意味と、②説明責任の重要性という二点について話をしたいと思います。

まずは感情を表出させることの意味についてです。

感情を表出させることの意味

白井球審自身の説明がまったくないので、よく分からないことが多いのですが、画面から見て分かることは、白井球審が、判定に不満の態度を示した佐々木投手に腹を立て、詰め寄ったということです。

佐々木投手も白井球審も自身の感情を表に出したという点では共通しています。ではどっちもどっちなのでしょうか。

確かに佐々木投手は苦笑いを浮かべたり、判定後に球審のホームベースの方に数歩歩み寄ったりしていますが、それくらいのことはプロ野球ではよく見る光景と言えます。佐々木投手はすぐに二塁側に振り返っていますし、むしろ感情を覆い隠そうと(つまり努力はしている)ようにも見えます。そのため個人的にはそれほどおかしな態度だとは思いません。反対に、(不利な判定の後は)苦笑いすらしてはいけない、ホームの方に数歩でも歩んではいけない、などと言い出す人がいれば、ロボットじゃないんだし、行き過ぎているだろう、というのが私の感想です。

他方で白井球審の態度は、佐々木投手に物凄い形相で近寄って行っています。抗議に行った相手(選手や監督やコーチ)に反応する形でそのような態度になるというケースは目にしたことがありますが、抗議に行っているわけでもない相手に自分から突っかかっていくという球審(審判)は(30年以上プロ野球を見ていますが)初めて見ました。

加えて、タイムを取る場合、審判は両手を上げなければなりません。しかし映像を見る限り、私にはそういった動きが確認できませんでした。もし白井球審がタイムを取るのを忘れるくらい我を忘れていたのであれば、それは(相当)問題でしょう。

以上のような理由から(仮にタイムを取っていたとして、その点を捨象したとしても)決してお互い様ではなく、白井球審の方が感情的になっていたように見えるのです。

(感情を表出させることについての)カントの立場

カントによると、もし理性を欠いて、感情から衝動的に動いてしまったとすると、そこには道徳的責任は問えないことになります。理性的考察を経てない以上、その人は別様に考え、振舞い機会を逸していたということになるのです。

ただしそれは何の責任もないということではありません。あくまで道徳的な責任はないということです。

説明責任の重要性

佐々木投手も白井球審も、ともに感情を表に出しているように見えますが、白井球審の方がその度合いが強いように見えるという話をしました。しかし、これは私が画面から読み取れる情報にもとづいており、現場にいた白井球審には別のものが見えていた、もしくは、聞こえていた可能性もあるわけです。

事実に近づくには、私たちは白井球審自身の口から彼が何を見て、聞いたのかについて知る必要があるのです。しかし、彼自身が説明しようとしないのであれば、「佐々木投手以上に感情をむき出しにした」「自身の感情をコントロールできない人」と評価をされても仕方ないでしょう。自分が招いていることと言えます。

(説明責任の重要性についての)カントの立場

先ほど私は白井球審が理性を欠いて感情から直接行動に移してしまったのであれば道徳的な落ち度ではないという話をしました。しかし、その後の彼の対応については道徳性も含めて別途、精査する必要があります。

カントは普遍化の思考実験によって、客観的な視点からも望まれるような行為原理を採用すべきことを説きます。つまりこの場合、自分の至らなさが原因となって、これだけ多くの人が問題提起しているのに、黙っていることが許されるのかという疑問が生じるのです。カントは以下のように問い質すのです。

汝の行動を公に知らせることができ、あなたの目に見える行動の原理を隠すことのない生き方であれ。(カント『レフレクシオン』)

自分の判断が正しいものであると確信しているのであれば、堂々と説明すればいいのだし、反対に、落ち度があると思うのであれば、素直に認めればいいのです。あれだけの騒動を起こしておいて、何の説明もしない態度は、(自分にとって都合の悪い)何かを覆い隠そうとしているように見えてしまうのです。

まとめ

白井球審が説明しないのであれば、彼が起こった理由について、佐々木投手を含めたプロ野球選手には分かりません。これでは対応(改善)のしようがありません。繰り返しますが、まさか不利な判定の後に、苦笑いやホーム側に数歩寄ることがダメだ(しかし、それをした選手には威嚇してよい)などとは言わないと思うのです(そう信じています)。

また見ている側にも、何が問題であったのかさっぱり分からないのでは、興行であるはずのプロ野球としては都合が悪いでしょう。お客さんあってのプロ野球なのですから、お客さんが理解できるように、きちんと説明してもらいたいものです。

参照

以前にサッカーについても似たような問題提起をしたことがあるので、興味がある方はそちらもどうぞ。

審判の説明義務について
なぜブンデスリーガの審判は自分の裁いた試合の判定の根拠について口にしないのでしょうか。メディアは話を聞こうとするはずであり、出てこないということは、上(ドイツサッカー協会か審判組織?)が止めているのか、もしくは、本人が避けているのだと思います。しかし、そんなことをすることにどんなメリットがあるのでしょうか。私は負の側面の方が大きいと思っています。

さいごに

私は審判をAIに任せることに基本的には反対です。しかし、もし(日本プロ野球機構)審判部が「一切説明する必要ない!」という姿勢なのであれば、AIにした方がよいというのが私の立場です。