カント倫理学

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続・大学で哲学をする意味とは?

哲学をするにしても、大学の学部レベルでは、先哲の教えを理解することで十分(自分の主体的な意見をそこに反映させるのは大学院に行ってからでいい)という意見があります。しかし、そこでなされる営みというのは、そもそも本当に「学問」と言えるのでしょうか。
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大学で哲学をする意味とは?

同僚が「学部生のレベルでは自分の主体的な意見を求める必要はない」「それは過大な要求」と述べていました。本当にそうなのでしょうか。先哲の教えを首尾よくまとめることができるようになれば、それでいいのでしょうか?
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視野が狭くなってしまわないように

人間とはずっと狭い世界に身を置いていると、視野も狭くなってきてしまいます。それが世間の常識から乖離した言動に結びつき、批判を浴びるということがあります。そういったことを避けるためにはどうしたらよいのでしょうか。
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審判の説明義務について

なぜブンデスリーガの審判は自分の裁いた試合の判定の根拠について口にしないのでしょうか。メディアは話を聞こうとするはずであり、出てこないということは、上(ドイツサッカー協会か審判組織?)が止めているのか、本人が嫌がっているのだと思います。しかし、そんなことをすることにどんなメリットがあるのでしょうか。私は負の側面の方が大きいと思っています。
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奪われた感

私たちはコロナウイルスによってさまざまなものを奪われました。そのはけ口をどこかに見出したいと思うのは自然な感情だと思います。しかし、それに流されて犯人捜しや、悪者探しをしていても何も解決しません。これからに向けて、今すべきこととは何なのでしょうか。
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続・コロナウイルスとの向き合い方について

世の中には、コロナウイルスの存在を認めようとしない人、そのため、まったく対策をとろうとしない人たちがいます。どうして彼らはそう考えるに至ったのでしょうか。カントの言葉を頼りに人間の内面について分析してみたいと思います。
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コロナウイルスとの向き合い方について

カントは自分で考え、判断を下すべきことを求めます。しかし、もし誤った情報にもとづいていたなら、考える方向性も、そこから導かれる結論も誤ったものとなるでしょう。コロナウイルスに関しては、私たちは分からないことだらけで、専門家同士でも言っていることがバラバラだったりします。私たちはこのような混沌とした状況下でどうしたらよいのでしょうか。
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学問の有用性について

学問とは世の中の役に立つものでなければならないのでしょうか。ノーベル賞受賞者である大隅良典教授やカントの言葉をヒントに考えてみたいと思います。
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共苦感情の肯定的な役割について

カントは共苦感情からの行為に道徳的価値を見出すようなことはしません。しかし、彼はそこに何らの価値も見出していないということでもありません。では、そこにはどのような意義があるのでしょうか。私たちは何ができるのであり、何をすべきなのでしょうか。
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共苦感情について

ショーペンハウアーは、傷ついた人に寄り添い、その苦しみを共に分かち合うことが道徳的に正しいことであると主張します。ここに異を唱えるのは難しいように思えます。ところがカントはそこにケチをつけるのです。そこにはいかなる理由があるのでしょうか。
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