功利主義とはいかなる考え方であり、カント倫理学との関係はどうなのでしょうか。

『その悩み、カントだったら、こう言うね。』
本では世間の人が抱えるであろう悩みに答えていくことで、カント倫理学が私たちの生きる指針たりうるかということを示していきます。とはいえ、カント倫理学には不十分なところがあることも事実です。その点は後世を生きる私たちが手を加えていかなければなりません。本書では、そこまで踏み込んでいます。

思考過程の正しさについて
思考過程の正しさは、そこからもたらされた結果によって判定されるべきではなく、思考内容自体によって良し悪しが判断されるべきなのです。しかし、現実にはそうなっていません。オリンピックスポーツ、とりわけ野球を例にして、その問題点を明らかにしたいと思います。

カントにおける卓越性と道徳的徳の関係性について
世の中には「よい」と言われるものがさまざまあります。イマヌエル・カントは具体的にどのようなよいものがあるのかについて列挙して、説明しています。前回の記事で取り上げたアリストテレスと絡めて「よい」とは何なのかについて考えてみたいと思います。

出生時の運の良し悪し
出生時の要因(生まれ持った能力や適性、生まれた家の裕福さ、自身の容姿や体格、健康や障害の有無、等々)が道徳性にもたらす影響について考えてみました。

考慮と帰結の関係
結果が伴わないのは、考慮のうちに原因があるのか。考慮のうちに落ち度がなくても、結果が伴わないこともあるのではないか。考えてみたいと思います。

日本人の倫理観は低いのでしょうか
日本人は他人に対して無関心であり、困っている人がいても、あまり手を差し伸べようとしない傾向にあります。そのことは日本人の倫理観が低いことを意味するのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。考えてみたいと思います。

続・動物を殺して食べるということ
功利主義は、苦痛の増大、快楽の減少に努めます。そこでは人間のみならず、動物の快楽や苦痛も考慮に入れられるのです。その上ではたして、人間が動物を殺して食べることは是認されうるのでしょうか。

カント倫理学とミル型功利主義の共通点について
功利主義を過程功利主義と解すると、カント倫理学との近似性が見えてきます。これを「トンデモ解釈」と受け取るか、「ありかも」と思うか、真っ二つに分かれるかもしれません。

功利主義者本人に聞く
少なくとも古典的な功利主義者であるベンサムやミルは、「多くの幸福を生み出す行為が倫理的に正しい」とは言っていません。そういった「傾向」を持つ行為が倫理的に正しいと言っています。彼らが言う「傾向」とは何なのでしょうか?

功利主義者は「結果」という語で何を指しているのでしょうか?
結果さえよければいいのでしょうか。それとも結果への考慮や内容の妥当性も問われるのでしょうか。もしくは結果への考慮や内容の妥当性があれば、結果そのものは伴わなくてもよいのでしょうか。