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『ドラえもん』の話 | カントに学ぶ意志の倫理学

『ドラえもん』の話

kant and animeカント倫理学

子供の頃に『ドラえもん』は読んでいたのですが、今から思えば、当時の私はその良さにまったく気がついていませんでした。最近はよく長男と『ドラえもん』を読むのですが、本当によくできていると感心します。さっきも長男と一緒に読んたのですが、それが考えさせられる話だったので、ここに紹介したいと思います。

ぼくをタスケロン

話の冒頭、のび太は困っている人を見ても全然助けようとしないのです。そこでドラえもんが人助けをしたくなるクスリを出します。そのクスリの名前が「タスケロン」。のび太はそれを誰かに飲ませて、自分が宿題を手伝ってもらおうと考えたのですが、その魂胆を察したジャイアンとスネ夫に無理やりその薬を飲まされてしまいます。そのため、のび太は、人助けをせずにはいられなくなり、日が暮れるまで人助けをする羽目になります。今から宿題をはじめても、明日学校に行くまでに終わらないと思い、のび太は途方に暮れるのでした。

しかし、人助けをするのび太の姿を見ていた人がいました。しずかちゃんです。彼女は人のために尽くすのび太に感心して、宿題を手伝うからといって、のび太を励ますのです。

徳福一致

『ドラえもん』のこの話を読んで、私はカントの「徳福一致」の理念を思い浮かべました。カントは道徳と幸福は究極的には一致すると考えているのです。

ただし、幸福な者が有徳であるという構図は成り立ちません。有徳な人間は幸福に与るに値するということなのです(一般的には「福徳一致」と表現されることが多いのですが、はじめに「徳」があって、後から「福」が伴うという時系列に鑑みて私は「徳福」と表現しています)。

また、これは、有徳な人間が必ず幸福である、または、なれるということでもありません。あくまで理念として一致ということであり、現実においては幸福になれないことも(もちろん)あります。しかしながら幸福に与る可能性は高まるのです。

私自身よく思うのです、自分の幸福のことばかり考え、追い求めるような人には、人望も人も集まるはずがなく、結果的にそれでは自身が幸福になるのは難しいのではないかと。反対に、そういったことに捕らわれずに、人のために行動できるような状態の方が、むしろ幸福な生き方と言えるのではないでしょうか。

言いたいこと

カントは非利己的な純粋な意志に発する行為に道徳的価値を見出します。この点が「そんなの無理」「理想論」「非現実的」などと揶揄されるのですが、私はまったくそんなことないと思っています。むしろ、私からすれば「では、あなたは我欲を満たすためだけに生きているのか?」「それれが正しい生き方だと思っているのか?」と問いたくなるのです。どうなんですか?

そういう人にはドラえもんが必要なのかもしれません。

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