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他者の行為の評価については慎重であるべき | カントに学ぶ意志の倫理学

他者の行為の評価については慎重であるべき

他がための行為カント倫理学

カントは、単に行為が道徳法則に合致しているだけではなく、その上でそれが非利己的な善意志に発していて、はじめてそこに倫理的善性を見出します。このことは、意志のあり方を無視して、外形的な行為のみから倫理性を判定することはできないということを意味します。

しかしながら私たちは、しばしば見た目のみから本質が分かったかのように思い込み、決めつけてしまうことがあります。私自身も例外ではありません。

私は学生の頃に、カント倫理学に根差した、内面を大切にする教育を実践したいと思い、小学校でアルバイトしていたことがありました。ある日のこと、子供たちと一緒にお昼ご飯を食べていました。そこで私は持参した炭酸飲料を飲み、何気なく「ああ、もう炭酸が抜けてしまっている」と口にしました。すると横にいた子供が私の飲み物を手にとって、シャカシャカと振りはじめたのです。私はとっさに「おいおい何をしているんだ?」と言いました(今から考えると、少し強い口調で言ったかもしれません)。私は直観的に、子供が興味本位でやっているのか、ふざけてやっているのだと思ったのでした。しかし、その子供は「シュワシュワを復活させようとした」と言ったのです。

その子供の行為は、まったく誤った判断による、迷惑千万な行為です。しかし、それは紛れもなく私のためになされた行為だったのです。一見、望ましくない行為のように見えても、倫理的には善である可能性のある典型的な事例と言えます。

このとき私は、他者の行為の倫理的価値は決めつけられないことを改めて自覚したのでした(ただし私はここで、その子供の行為が倫理的善であったとも断定していません)。

私はその子に、(振れば炭酸が復活するという)判断は間違っていたけれど、人のために行動したことはすばらしいことであることを伝えました。大人の側が、子供の行為の結果のみに拘泥して、その誤りを指摘するだけでは、子供が次に同じような状況(つまり何か人のために行動を起こそうとしたとき)に躊躇、もしくは、避けてしまうことになりかねないからです。

教育学者、ジョン・デューイは子供の特性について以下のように述べています。

子供は発表したい、行動したい、奉仕したいという自然的な欲求を持って生まれてくる。この自然的な欲求が実現できないときの社会的精神に対する反動は私たちが考えるよりもずっと大きい。(デューイ『学校と社会』)

子供というのは、本来「よいことをしたい」という欲求を持っているものなのです。だとすれば、大切なことは、そのような子供の気持ちを大人が挫いてしまわないことなのではないでしょうか。つまり、子供のよいことをしようとした場合に、大人がその内面的価値を承認してあげることによって、子供は失敗を恐れず、その後もよいことをしようと努めることができのではないでしょうか。

ぼくまたやるよー!

私自身、子供の頃に内面を大切にする教育に触れたことがあり、それがその後カント倫理学研究の道に進むきっかけになりました。そのときの経緯については、出版予定の本、『意志の倫理学――カントに学ぶ善への勇気――』に記されています。関心のある方は是非ご購読ください。

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