カント倫理学 自身の幸福を確保するために有効なものとは? カントは、間接義務の一例として、自身の幸福を確保することを挙げています。では、その自身の幸福の確保のために必要なもの、有効なものは何なのでしょうか。ここにアリストテレスの言うアレテー(卓説性)が関わってくるのではないでしょうか。 2019.07.15 カント倫理学徳倫理学
カント倫理学 私には自分の幸福を確保すべき義務がある カントは間接義務の一例として、自身の幸福の確保を挙げています。しかし、カントという人物は、自身の幸福への意図を欠いた、非利己的な善意志からの行為を倫理的善と認め、そのように行為することを求める論者であったはずです。ここに整合性はあるのでしょうか。 2019.07.08 カント倫理学
カント倫理学 私たちは倫理的義務を常に履行し続けなければならないのでしょうか? もし私たちが常に倫理的義務を履行するよう努めなければならないとすると、自身の幸福を追求することを許す余地がなくなってしまうことになるのではないでしょうか?もしそうだとすると、それはあまりに禁欲的で、厳格なのではないでしょうか? 2019.07.01 カント倫理学
カント倫理学 カント倫理学を実践すると幸福になれないのか カントは非利己的な善意志から行為することを要求します。そのことは自身の幸福を犠牲にすべきことを意味するのでしょうか。もしそうだとすれば、カントは反幸福主義者と揶揄されるのも無理からぬことのようにも思えますが、実際のところどうなのでしょうか。 2019.06.23 カント倫理学
カント倫理学 「利他」という言葉の使い方おかしくないですか? 「利他」という用語は「他人のためになされた(自分のためではない)」という意味で使われる場合と「実際に他人に資する」という意味で使われる場合があります。このような一貫性のない使用法のもとでは、やり取りは噛み合いません。そこで私は本記事においてこの語の定義についてひとつの提言をしたいと思います。 2019.06.17 カント倫理学メタ倫理学
カント倫理学 カントの反論 カントは「自分の行為の動機ですら知りえない、そのため利他的に振舞ったつもりでも、実際には利己心が潜んでいるのである」という批判にどう反論するのでしょうか。 2019.06.09 カント倫理学
カント倫理学 利他的に振舞うことなど本当にできるのか ショーペンハウアーは自身の動機ですら知りえないのであり、善意志から行為したつもりであっても、それは所詮「つもり」に過ぎず、実際には利己的に振舞っていると主張するのです。 2019.06.02 カント倫理学ショーペンハウアーの思想
カント倫理学 自身の行為の動機について知りうるのか 私たちは自身の動機について知りうるのでしょうか。もし知りえないのであれば、本人は善意志から行為したつもりでも、実際には利己的に行為しているということが起こりうるのではないでしょうか。 2019.05.25 カント倫理学ショーペンハウアーの思想
カント倫理学 道徳法則に従っているつもり(・・・)に過ぎない可能性について 道徳法則に従っているつもりが、実際にはそうでなかったということがありうるのでしょうか。ありうるとすれば、その場合の倫理性はいかに。 2019.05.19 カント倫理学啓蒙思想
カント倫理学 続・啓蒙とは何か? カントが啓蒙の標語に掲げるsapere audeですが、日本語では「あえて賢かれ」「知る勇気を持て」などと訳されます。しかし、本当にそれでカントの意図はくみ取れるのでしょうか。どうして賢くならなければならないのでしょうか?どうして知らなければならない、そもそも何について知らなければならないのでしょうか?謎です。 2019.05.12 カント倫理学啓蒙思想