先日「チャリティーズ・エイド・ファンデーション」というイギリスのチャリティー機関が、各国のチャリティーに関する意識アンケートの結果を発表しました。それによると、日本は127ヵ国中、107位でした。先進国のなかでは最下位になります。
データは以下のDOWNLOADボタンから、ダウンロードすることができます。
World Giving Index 10th edition
私の率直な印象は、「まあそんなもんじゃない」というものです。海外に長く住んだことのある人にとっては、いわば当たり前のことなのではないでしょうか。
異論ありません
私の経験
私は東日本大震災のボランティアに参加したことがありました。ボランティアに参加している人たちの顔ぶれを見て、すぐに外国人が多いことに気がつきました。外国人が日本のためにボランティアしてくれていることをうれしく思った半面、このことは日本人はあまり参加していないということでもあり、複雑な心境になったのを覚えています。また国籍の上では日本人であっても、話をしてみると、帰国子女や留学経験がある人が多いことにも気づきました。
私は現在はドイツに住んでいますが、生まれと育ちは日本なので、日本とドイツの違いについてもよく感じます。ドイツでは交通機関で赤ん坊を負ぶっていると、たいていは席を譲ってもらえます。しかし、日本で電車に乗ると、誰も席を譲ってくれない、というか、みんな携帯をいじっているか、寝ているかで、他人のことなど関心がないという印象を受けるのです。
先哲の立場
ここで偉大な先哲の意見を参照してみたいと思います。
アリストテレス(徳倫理)
まず、古代ギリシャの巨人、アリストテレスです。彼の倫理学説は徳倫理学と呼ばれています。それは彼がアレテー、すなわち、卓越性を徳と見なすためです。彼の理論によれば、困っている人の存在に気がつかない、もしくは、気がついても何をすべきか分からないような状態は卓越性の欠如であり、徳の欠如と見なされるのです。
鈍感は徳に劣る!
ジョン・スチュワート・ミル(功利主義)
アリストテレスの考え方に深く関係してくるのが、ジョン・スチュワート・ミルに代表される功利主義です。その立場からすると、困っている人がいるのに、周りが何もしないことは、倫理的な落ち度と見なされるのです。彼らは苦痛自体を倫理的悪と見なすためです。
苦痛こそ倫理的悪である!
カント(義務論)
アリストテレスの徳倫理学や、ミルの功利主義とは対照的に、カントは困っている人の存在に気が付かない、そのため困っている人の苦痛を取り除くことができないことを倫理的落ち度とは見なしません。そうではなく、困っている人の存在に気がついており、かつ、何をすべきかについて(つまり道徳法則の内容を)自覚していながらも、自分の利己的な都合で別用に振舞うことを倫理的悪と見なすのです。
倫理的悪とは意志のうちにあるのであり、自分でも知らず知らずのうち(意志せず)になしてしまっていた、などといったことはありえない。
ただカントは、困っている人の存在に気が付かないことや、彼らの苦痛を和らげることができないことを、仕方のないこと、どうしようもないことと見なしているわけではありません。ここには倫理性には直接関係はないものの、間接的に関係のある問題が横たわっているのです。
問題の所在
これは私が日本に一時帰国する度に思うことなのですが、総じて日本人は余裕がないように見えるのです。人々は学校や職場などで多くのノルマが課され、長時間拘束され、周りの人間を助けるという発想が持ちにくい状態にあるのではないでしょうか。もしそうであるならば、つまり環境であり、社会でありが、人々をそのような状態に追いやってしまっているということであれば、そのような社会風土を変えていくことこそが重要なのではないでしょうか。
では、具体的にどのように変えていくべきなのでしょうか。次回の記事では政治哲学の分野に足を突っ込んで、話を進めて行きたいと思います。