前回の記事において触れましたが、私は子供の頃から体は丈夫な方でした。そのため学校を休むようなことは稀でしたが、ただ、くしゃみ、鼻水、鼻づまりはひどく、いわゆる鼻垂れ小僧でした。
そこであるとき、血液を採って、アレルギー検査をしてもらったことがありました。それによって、重度のダニアレルギーがあることが分かったのです。ダニがいると反応するというよりも、ほこりっぽいところにいくと、そこにダニの死骸やフンが混じっているので、それに体が反応するという感じです。
自分がダニアレルギーであることが分かってから四半世紀以上経ちましたが、鼻の調子は変わらないどころか、むしろ悪化している感じです。ひょっとしたらドイツ特有のアレルギーがあるのか、花粉症になったのかもしれないと思っていました。
しかし私は子供の頃以来、長いこと検査をしませんでした。どうせ治るものではないという諦念の気持ちと、自分で自分の病気を知ってしまうことによって必要以上に意識してしまうことが嫌だったという思いがあったのです。
それが最近、あることがきっかけで、そのような考え方は間違いであるという思いに至ったのです。
きっかけ
私自身に子供ができてから、当然のように子持ちの親と接する機会が増えました。それで気がついたのですが、自分の子供をちゃんと医者に診せない親がけっこういるのです。もっとも彼らは、発熱やケガの場合には病院に連れて行くのです。しかしながら、先天的な病気の恐れがある場合に二の足を踏むのです。
検査を受けさせない理由を聞くと、よく返ってくる反応は「自分の子供に〇〇病というレッテルを貼りたくない」というものです。
まさに私自身が(花粉も含めた)アレルギー検査をしてこなかった理由と重なります。しかし、一点決定的な違いがあり、私の場合は自分の病気の有無をはっきりさせなかったのです。私は自分の子供が持病を抱えているかもしれないのであれば、必ず検査を受けさせます。
自分の子供に検査を受けさせない親のなかには「私はそもそも〇〇病なんて存在しないと思っている」というようなことを言う人もいます。確かに、存在を認めるかどうかについて意見が分かれる「病気」というものも存在します。しかしながら、その病気が存在するかどうかについて少なくとも世間一般的には異論の余地がなく、しかも、グレーゾーンではなく、誰が見ても典型的な症状が出ているのであれば、そのような言い分には無理があります。
なかには一方で、症状を抑えるために(密かに)薬を服用したり、幼稚園や学校に特別な配慮をお願いしたりしておきながら、他方で、ちゃんとした検査を受けさせずに「いや、うちの子は正常です」と言い張っているような親もいるのです。傍から見ていて、まったく筋の通らない姿勢だと思います。
では、なぜそんな無茶苦茶な対応をとってしまうのでしょうか。私はそこにあるのは理性ではなく、感情だからだと思っています。具体的には「(自分の子供が先天的な病気を持っていることを)認めなくない」または「(病気持ちの子供を産んでしまったという)罪を背負いたくない」という感情です。その感情に由来する願望が、子供が診断を、そして、それを踏まえた適切な医学的対処を受ける機会を奪っているのです。
カントの立場から
自分の子供に検査を受けさないことが道徳法則に合致するかどうか考えてほしいと思います。もし、合致しないことを自覚しているのにもかかわらず、自愛の感情からその反法則的な行為原理を採用するのであれば、それは紛れもなく倫理的悪なのです。
本来的な悪は、利己的な感情が道徳法則違反へと誘うとき、これに対して人が抵抗を意欲しないところに存するのであって、このような心の持ち方が我々にとって真の敵なのである。(カント『単なる理性の限界内の宗教』)
私は、自分の子供に検査を受けさせないことは道徳法則に合致しないと判断します。そして、自分自身に向けても、アレルギー持ちであるかもしれないことを疑っておきながら検査をしないことも、やはり道徳法則に反すると結論づけたのです。
そこで私は先日、検査のために病院に行って来ました。
検査結果
検査結果は、散々たるものでした。もっとも重いレベル3のアレルギーが4つ、次に重いレベル2のアレルギーが3つも見つかったのです。
もうアレルギー祭りです。それが現実なのですから、受け止めるしかありません。体が何に反応するのか分かったことで、それを避けるように努めることができますし、薬を服用することもできます。私はむしろ肯定的に捉えています。
最後におねがい
自分自身に対してもそうですが、特に自分の子供が何らかの病気を抱えている恐れがあるような場合、必ず検査してほしいと思います。「自分の子供が病気持ちだなんて認めたくない」「罪を背負いたくない」という自分の願望で、子供が病気と向き合い、症状が軽減する可能性を奪ってしまうようなことは避けてほしいのです。それによってもっとも割を食うのはお子さん自身なのです。