私が前回と前々回の記事において、教育現場において大人が結果にしか関心を示さず、結果でしか物事を判断しない姿勢の弊害について書きました。その後、プロ野球、横浜DeNAの筒香嘉智選手が、日本外国特派員協会やNHKのインタビューで、ほとんど同じことを言っていることを偶然知りました。
例えば、筒香選手は以下のようなことを言っています。
結果を重視した勝利至上主義が一番問題。選手の成長よりも、勝つことが優先されている。(筒香嘉智)
筒香選手は主に、目先の試合に勝つために無理を強いられ、怪我してしまう、そして、選手生命が奪われてしまうケースを念頭に置いて発言しているのですが、それとは別の文脈で以下のようなことも言っています。
日本は子どもたちに対して答えを与えすぎているように思いました。そのことが子どもたちから創造力を奪い、指示待ちの行動をしている子が多くなっているのでは。大人になっても、自ら動けない選手がいます。(筒香嘉智)
筒香選手の二つの言明は、ひとつの関連する問題に根差していると私は捉えています。それは指導者の側の考える姿勢の欠如です。指導者の側に考える姿勢が欠けていれば、そのもとにいる子供たちの考える力が養われるはずもありません。成長しても、そのまま自分で考え動くことができず、「指示待ち」になってしまうのです。
指導者のなかで、考えるための理性ではなく、盲目的な感情が先に立ってしまっているという言い方ができるかもしれません。そのことは筒香選手が目撃した以下のような事象からも看取されます。
子どもの試合や練習を見に行くと、指導者が子どもに罵声を浴びせる光景を見る。(筒香嘉智)
「ミスをした選手に罵声を浴びせれば、ミスは減る」と本気で考える人がいるでしょうか。おそらくいないと思います。理性的に考えてみれば分かるはずのことでも、感情的になってしまうと見えなくなってしまうのです。
怒鳴られた選手はミスが減るどころか、実際には逆であることを筒香選手は指摘します。
怒鳴られた子供たちはミスを恐れ、萎縮し、プレーから快活さは失われる。(筒香喜智)
私自身も小学生から高校まで野球をやっていたので筒香選手の言っていることがすごくよく分かります。(私だけではないと思いますが)一度エラーをしてしまうと、「次もエラーしてしまうかもしれない」「今度またミスしたらどうしよう」などとマイナスのことを考えてしまい、萎縮してしまうのです。そこに指導者からの叱責が加われば、負のスパイラルに余計に拍車がかかることになります。すると、当然のようにパフォーマンスは低下し、結果も伴わない可能性が高くなります。
これは「息子に伝えたいこと」の記事においても書いたことですが、
私は息子に対して、主体的に考えたのかどうか、また、努力をしたのかどうかといった、できるはずのことをやったのかどうかという面については厳しく目を光らせる一方で、実際にうまくできるかどうか、また、結果が伴うかどうかといった、自分の力ではどうにもできない側面が絡む事柄については(褒めることはあっても)決して叱らないようにしています。ミスをするかどうか、勝てるかどうかといったことはまさに後者の問題であり、能力的な限界や偶発性によってうまくいかない、結果が伴わないケースが多々あるからです。そういったケースにおいて相手を罵倒するというのは、あまりにも不合理・理不尽であり、そこに教育的な理念や成果があるとは私には思えないのです。
指導者が理性的考慮を欠いているのであれば、そこから主体的に考える力を備えた人材が育成されるはずもありません。そんな彼らが将来指導者になり、また同じ歴史が繰り返されることになるのです。それではいけないと気づき、このような負の連鎖(スパイラル)を止めるべく行動する筒香選手の勇気に私は敬意を表したいと思います。
注)筒香選手による日本外国人特派員協会における発言は以下から聞くことができます。