カント倫理学

漫画の海賊版サイトについて

さまざまな事象について倫理的に、主にカント倫理学に照らして考察を加えるこのブログですが、今回は漫画の海賊版サイトについて取り上げてみたいと思います。直観的には正当化は難しいように感じられますが、どうやらそれを試みる人もいるようなのです。その言い分を聞いてみましょう。
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他人の態度に物申すべきとき

マスクをしていない人を注意したところ、暴力を振るわけ、下半身不随になってしまった人のニュースがありました。私が心配するのは、このようなニュースが流れることで、「ほら見ろ」「他人になんか関わらないほうがいいんだ」といった風潮が加速してしまうことです。そこにある問題点について考えてみたいと思います。
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ワクチンに対するカントの立場

二百年以上前のカントの晩年には、すでにワクチンというものが存在していました。天然痘に対するワクチンです。それについてカントが言及している箇所もあるのですが、それはどんなものなのでしょうか。はたしてそれは今日私たちが直面するコロナワクチンに対する議論の参考になるのでしょうか。
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反ワクチン派の人々への対処について

カントは万人に理性が備わっており、誰にでも考え、そして、まともな結論を導く力があるはずであると説きます。しかし、現実を見てみると、ワクチンの効用を絶対に認めようとしない人たちがいます。彼らを理性的なやり方で説得することなど本当にできるのでしょうか。
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「ワクチンを打つ、打たないは個人の自由」というのは本当か

現在、ドイツではコロナウイルスの感染者数がものすごい数で増えています。理由はワクチンを拒否する人たちがいるため、接種率が伸び悩んでいること、そして、政府がこれまで規制を緩和する方向に進んでいたためです。しかし、もはや方向転換すべきときにきているのではないでしょうか。
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なぜワクチンを打たないのか

バイエルン・ミュンヘンのキミッヒ選手はワクチンをまだ打っていないことを告白しました。そして、その理由についても語ったのですが、その説明というのが非常にまずいものでした。そのため彼は大きな批判を受けています。彼の発言のどこに、どのような問題があったのでしょうか。ここに分析してみたいと思います。
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無実の人を犯人に仕立て上げてしまう心理とは

人は懲罰感情というものを抱きます。被害者に共感した際に加害者を罰したいと思うのです。それ自体は自然な感情なのかもしれません。しかし、それが度を過ぎると、そして、本当に行動に移してしまうと、自分が加害者の側に回ってしまうのです。
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倫理学とは「〇〇しろ」「〇〇するな」の羅列ではない

アリストテレス的な「勇敢たれ」といったお題目に意味はないと考える人々は、何をすべきであり、何をすべきでないのかについて、もっと具体的な行為を列挙すべきことを説きます。しかし、それとてやはり抽象的過ぎると私は思うのです。よく見られるカント解釈をもとにその問題点について明らかにしていきたいと思います。
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「勇気を持て」という言明に意味はあるのでしょうか?

アリストテレスは「勇気」を徳目のひとつと見なします。しかし、人は何を持って、そこに「勇気」を見出すのでしょうか。というのも挑戦することが「勇気」と言われる場合もあれば、反対に、引き下がることを「勇気」と表現することもあるためです。つまり、いかようにも解釈できてしまうためです。はたして「勇気を持て」と言うことにどれだけの意味があるのでしょうか。
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はたして結果至上主義と教育は両立するのでしょうか

1992年、星稜高校の松井秀喜選手が五打席連続で敬遠されるという出来事がありました。そして、そのことが社会的な議論を巻き起こしました。はたしてこのような結果至上主義の作戦と教育は両立するのでしょうか。敬遠の指示を出した馬淵監督の言明を頼りに考えてみたいと思います。